TRENDIA CLASSIC

万葉集研究

折口信夫

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一 万葉詞章と踏歌章曲と

万葉集の名は、平安朝の初め頃に固定したものと見てよいと思ふ。 この書物自身が、其頃に出来てゐる。 此集に絡んだ、第一の資料は古今集の仮名・真名両序文である。 これを信じれば、新京の御二代平城天皇の時に出来た事になるのである。 従つて此集の名も、大体此前後久しからぬ間に、纏つたものと見てよさゝうである。

詩句と歌詞とを並べた新撰万葉集や、古今集の前名を「続万葉集」と言つた事実や、所謂古万葉集の名義との間に、何の関係も考へずにすまして来てゐる。 茲に一つの捜りを入れて見たい。 新撰万葉集は、言ふ迄もなく、倭漢朗詠集の前型である。 其編纂の目的も、ほゞ察せられるのである。 此と、古今集とを比べて見ると、似てゐる点は、歌の上だけではあるが、季節の推移に興を寄せた所に著しい。 此と並べて考へられるのは、万葉集の巻八と十とである。 等しく景物事象で小分けをして、其属する四季の標目の下に纏め、更に雑歌と相聞と二つ宛に区劃してゐる。 分類は細かいが、此を古今集に照しあはせて見ると、後者に四季と恋の部の重んぜられてゐる理由が知れる。 私は、続万葉集なる古今は、此型をついだものと信じてゐる。 一方新撰万葉集の系統を見ると、公任の倭漢朗詠集よりも古く、応和以前に、大江維時の「千載佳句」がある。 此系統をたぐれば、更に奈良盛期になつたらしい、万葉人の詩のみを集めたと言つてよい――更に、漢風万葉集と称へてよい――懐風藻などもある。

万葉集と懐風藻と、千載佳句と朗詠集との間にあつた、微妙な関係が、忘れきりになつて居さうでならぬ。 懐風藻で見ても、宴遊・賀筵の詩が十中七八を占めてゐる。 此意味で、万葉巻八・十なども、宴遊の即事や、当時諷誦の古歌などから出来てゐる、と見る事が出来ると思ふ。 其を、四季に分けたのは、四季の肆宴・雅会の際の物であつたからである。 而も、雑と相聞とに部類したのは、理由がある。

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