TRENDIA CLASSIC

唱導文学

折口信夫

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唱導文学といふ語は、単なる「唱導」の「文学」と言ふ事でなく、多少熟語としての偏傾を持つて居るのである。事実において、唱導文学は、説経文学を意味しなければならぬのであるが、わが国民族文学の上には、特に説経と称するものがあり、又其が唱導文学の最大なる部分にもなつてゐる。だが、その語自身、あまり特殊な宗教――仏教――的主題を含んでゐる為、其便利な用語例を避けて、わざ/\、選んだ字面であつたのである。其れが今日では、既に多少普遍化して来て、又語らざるに、却て仏教的な説経文学の意義に考へられかけて居る。実は、もうさうなつてもよい、と考へてゐる私である。元、漂遊者の文学、巡游伶人の文学などゝ命けて、考察を続けて来た間に、その頃此国の文学史家が、徐ろにとり入れかけたのが、もうるとん氏の文学論及び文学史に関する諸論文であつた。右の先輩の文学に対する態度は、其前から盛んであつた仏蘭西の民俗学的な研究法から、甚しく影響を受けたものであつた。其だけにおなじく、民俗学的態度に拠る事の多い私どもの研究法からは、極めて些細な点までも、差異が見え透いた。あめりか流に常識化したやりくちが、如何にも気易げに感ぜられたのであつた。そのもうるとん氏を立てる方々の間に、漂流文学と言ふ術語が喜ばれ出した時期があつた。で其混乱を避ける為に、わざと唱導文学の字面を採ることにもしたのであつた。だから、宗教以前から、その以後までを包含してゐる訣なのだ。

殊に民俗文学の発生を説く事に力を入れたい、と言ふ私自身の好みからは、是非とも此点を明らかにしておかうと考へる。さうして同時に、「非文学」及び「文学」を伝承、諷誦する事によつて、徐々に文学を発生させ、而も此同じ動向を以て、文学を崩壊させて行く、団体の宗教的な運動を中心として見ると謂つたところを、放さないで行きたいものである。

文学は旅行する

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