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TORENDIA

詩語としての日本語

本文約13,400字 ・ 読了時間 約27分

あらすじ(AIが作成しました)

外国の象徴詩を日本語へ訳出する際、言語構造や表現習慣の差異から生じる困難と、詩人たちがその克服を試みた歴史を論じる。明治期以降、翻訳詩の文体を模索することは、単なる紹介にとどまらず、日本語独自の新しい詩語や未来の詩的文体を発見するための重要な過程であったと位置づける。本書は、翻訳という営みが日本の詩壇にもたらした影響を検証し、外国詩の様式を通じて日本語の中に新たな詩的精神を孕もうとする詩人たちの努力の意義を明らかにしている。

折口信夫

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酩酊船

さてわれらこの日より星を注ぎて乳汁色の

海原の詩に浴しつゝ緑なす瑠璃を啖ひ行けば

こゝ吃水線は恍惚として蒼ぐもり

折から水死人のたゞ一人想ひに沈み降り行く

見よその蒼色忽然として色を染め

金紅色の日の下にわれを忘れし揺蕩は

酒精よりもなほ強く汝が立琴も歌ひえぬ

愛執の苦き赤痣を醸すなり

アルチュル・ランボオ

小林秀雄

この援用文は、幸福な美しい引例として、短い私の論文の最初にかゝげるのである。この幸福な引証すら、不幸な一面を以て触れて来るといふことは、自余の数千百篇の泰西詩が、われ/\にかういふ風にしか受け取られてゐないのだといふことを示す、最もふさはしい証拠になつてくれてゐる。象徴派の詩篇の、国語に訳出せられたものは、実に夥しい数である。だが凡、こんな風にわれ/\の理会力を逆立て、穿り考へて見ても結局、到底わからない、と溜息を吐かせるに過ぎない。かう言ふ経験を正直に告白したい人は、ずゐぶん多いのではないかと思ふのである。

小林秀雄さんの飜訳技術がこれ程に発揮せられてゐながら、それでゐて、原詩の、幻想と現実とが併行し、語の翳と暈との相かさなり靡きあふ趣きが、言下に心深く沁み入つて行くと言ふわけにはいかない。此は唯この詩の場合に限つたことではなく、凡象徴派の詩である以上は、誰の作品、誰の訳詩を見ても、もつと難解であり、晦渋であるのが、普通なのである。さう言ふことのあつた度に、早合点で謙遜なわれ/\は、理会に煉熟してゐない自分を恥ぢて来たものだ。併し其は、私たちの罪でもなく、又多くの場合、訳述者の咎でもないことが、段々わかつて来た。それは国語と国語とが違ひ、又国語と国語とにしみこんでゐる表現の習慣の違ひから来てゐる。日本の国語に飜し後づけて行つた詩のことばことばが、らんぼおやぼおどれいるや、さう謂つた人の育つて来、又人々の特殊化して行つたそれ/″\の国語の陰影を吸収して行かないのである。

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