短歌様式の発生に絡んだある疑念
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あらすじ(AIが作成しました)
短歌様式の発生と、それに関する従来の単純な論理に対する疑念を論じる。万葉集の歌を題材に、長歌と短歌の構造的な関係を分析する。特に民謡から派生した叙事詩が、次第に芸術的効果や個性を獲得する過程に着目する。長歌の末尾が独立して短歌になったという説を立て、当時の組み歌の性質や民間に流布した歌の異伝を考証し、音脚の変化や反歌の発生など、短歌様式の成立にまつわる未解決の諸問題について論じる。
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今の世の学者が、あらゆる現象を、単純から複雑に展開してゆくものときめてかゝる考へ方は、多くの場合まちがつた結論に安住することになつてゐる。文学の場合もさうであつた。
沢村専太郎氏が、ふた昔も前に発表せられた、短歌様式の論(明治四十年頃の新小説)は、それまでの歌論の、ゆきつく処まで、ひき上してゐる。其後、友人武田祐吉も論じ、私も聊か述べたことがある。
併、考へれば、私までが、簡単な論理に低回してゐたのであつた。
あしびきの山より出づる月まつと、人には言ひて妹待つ吾を(万葉巻十二)
この歌は、おなじ万葉の、
もゝたらず山田の道を靡く藻の愛し配と語らはず別れし来れば……霊あはゞ君来ますやと……たまぼこの道来る人の亭ちとまりいかにと問はゞ答へやるたつきを知らにさにつらふ君が名言はゞ色に出でて人知りぬべみ あしびきの山より出づる月待つと人には言ひて君待つ吾を
反歌(略する)
(巻十三) 此ふたつの歌の前後は、定めにくいし、暗合と見られぬこともない。巻十二の性質上、後の長歌に対して、やゝ後世に記録せられた、と考へてもよさゝうである上に、巻十三の長歌は、進歩した、叙事脈の抒情詩である。おそらく、ある演劇としての出発点をもつた、おなじ巻の多くの組み歌――反歌を具へた長歌――とおなじ部類にはいるはずの、民謡出の采風歌だらう、と思うてゐる。大体から見て、長歌の末が独立するわけがあつて、一種の短歌となつたものと見るのが、正しいであらう。
民謡――職業伶人の謡うたものをもこめて――から出たものとすれば、説明は簡単である。流離の音楽者に謡はれた叙事詩が残していつたかたみは、最、ものゝあはれを思ひ知らせる部分であつたらう。
粗野な村々の祖先の心は、はじめて、芸術の齎す効果に近いものを受けた。
民謡のはじまりは、さうした断片の詩にある。