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TORENDIA

帝展の美人画

本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

帝展会場を埋め尽くす岩絵具を厚く塗り重ねただけのけばけばしい現代の絵画作品に対し、内面から滲み出る画品の欠如を指摘する。筆者は、モダンと称して品位を落とす風潮に疑問を呈し、自身の美学を貫く決意を綴る。多忙な御用画の制作に追われる日々の中で、加齢による身体の衰えを感じつつも、一年に一度は自らが描きたい作品を追求し、自分の足跡を残そうとする画家の誠実な姿勢と帝展への複雑な心境を収める。

上村松園

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🎧 帝展の美人画 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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内緒でこっそりと東京まで帝展を見に行って来ました。

この頃の帝展はいつの間にか、私にはしっくりしないものになっているような気がします。誰の作品の何処がどうというのではありませんが、あの会場にみちあふれているケバケバしいものがいやだと思います。どぎつい岩ものをゴテゴテと盛上げて、それで厚味があるとかいう風に考えられてでもいるような作が、あの広い会場を一杯に占領しているのを見ますと私はただ見渡しただけで吃驚りさせられるばかりでした。

あれでないと近頃の大会場芸術とやらには、不相応なのかも知れません、ああしないと、通りすがりの観衆の眼を惹かないのかも知れません。ですけれどもあんな調子では、日本画はだんだん堕ちて行くばかりではないかという気がします。画品などというものは、捜し廻っても何処にもありはしません、下卑た品のない、薄ッぺらなけばけばした絵ばかり目につきます。それがモダンというものでしょうかしら? そうしなければ、モダンな味というものは出せないものでしょうかしら? モダンにするために、何もそうわざに品を落して薄ッぺらな絵にしなくても、いいように私は思います。

あんなに岩ものを盛上げたから、それで絵の厚味が出たと思うのが間違いだと思います。絵の奥の奥からにじみ出す味、それは盛上げたばかりで出るものではないということが、わからないのでしょうか。

今年は伊東深水さんの「秋晴」がえろう評判でしたが、あけすけにいえば、私は一向感心しませなんだ、どうもまだ奥の方から出ているものが足りないと思います。

伊藤小波さんの「秋好中宮」は昨年のお作の方が、私には好きだと思います。大きく伸ばしたのでいろんなものが見えたのかも知れません。

和気春光さんの「華燭の宵」は怖い顔の花嫁さんやと思いました。

木谷千種さんの「祇園町の雪」を見ると、ズッと昔の「をんごく」などの方を懐かしく思い起こさせられます。

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