一
秋が深くなって、朝晩、公園に白い霧がおりるようになった。
低く垂れさがった灰色の空から、眼にみえないような小雨がおちてきて、いつの間にかしっとりと地面を濡らしている。樹々の幹も、灌木も、草も、みな、くすんだ煤黝色になり、小径の奥の瓦斯灯が、霧のなかで蒼白い舌を吐いている。
風の吹いたあくるあさは、この小さな公園はすっかり落葉で埋まってしまう。桐や、アカシヤや、赤垂柳などの葉が、長い葉柄をつけたまま小径やベンチの上はうずたかくなる。
公園の看手が箒をもってやってきて、それを掃きあつめていくつも小山をこしらえる。落葉を焚く火で巻煙草をつけ、霧のなかに紛れこんでゆく白い煙りをながめながら、間もなく冬がくる、とつぶやくのである。
公園の広場をとりまく灌木のひくい斜面のしたに、水飲み場のついた混凝土の小さな休憩所がある。
砂場や辷り台で遊んでいる子供らを見張りながら、保姆たちがここでおしゃべりをする。夏の暑い日には、演習に来た兵隊さんが汗を乾かし、俄か雨のときには、若い二人づれがこのベンチのうえで身体を寄せ合うようにして、じっと雨脚をながめていたりする。
しかし、もう秋が深くなったので、この小公園のなかは急にひっそりとなり、落葉を掃く看手のほかは、この休憩所へやってくるものもまれになったが、ただひとり、ひるごろ、毎日きまってここに坐っている老人があった。
汚れた絆纒に、色の褪せた紺腿引をはき、シベリヤの農夫のように、脚にグルグルと襤褸をまきつけている。指の先まで皺のよったあわれなようすをした白髪頭の老人で、庭木の苗木をすこしばかり積んだ馬車を輓いてきて、いつもここで午食をつかっている。
襤褸と皺に埋まったような老人もそうだが、馬のほうもまたたいへんな観物である。
古典的な馬とでもいうのか、頭が禿げて、ひどく悲しそうな顔をしている。的確にいおうとするなら馬というよりは、皮の袋といったほうがいいかもしれない。お尻の汗溝のあたりも、首の鐙ずりのところも、肉などはまるっきりなくなって、鞦がだらしなく後肢のほうへずりさがり、馬勒の重さにも耐えないというように、いつも、がっくりと首をたれている。