組踊りの話
本文約2,800字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
琉球王国の時代、支那からの冊封使を迎える儀礼から発展した「組踊り」について解説する。本書は、王宮内の舞台で貴族・士族によって演じられたこの総合芸術が、近代に入り保護を失って衰退の危機にある現状を報告する。「二童敵討」や「執心鐘入」など、本土の能や歌舞伎の影響を受けつつ沖縄独自の風土を取り入れた演目の特徴を分析し、村踊りから発展した芸能としての歴史的変遷や、音楽・舞踊における本土との芸術的な交流の側面を論じる。
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組踊りは、また冠船踊りとも言うた。明治以前、今の尚侯爵の先祖が琉球国王であつた当時、その代替り毎に、支那がそれを認める冊封使といふものをよこした。その使者を乗せた、飾り立てた船をお冠船といひ、それを迎へる踊りであつたからだ。其時には、王宮内に舞台を造つて、そこで演じたので、役者は、すべて貴族・士族の階級から、主として若いものを選んで訓練をしたのである。それを、踊りの性質から言つて組踊りと称した。
すべて演劇は綜合芸術であるが、殊に組踊りはおぺらの様なもので、沖縄の演劇・舞踊・歌謡・器楽の類を全部とり込んでゐるので、それが幾組か連続的に行はれるのである。で沖縄の人は、組踊りとは、幾組か組んだ踊りの意だ、と感じてゐる様であるが、私は、さうではあるまいと考へてゐる。何故ならば、演芸種目の全部が組踊りでなく、その中の、特に演劇的なものだけを言つてゐるからである。或は、殊に面白いものを言つてゐるのかも知れない。とにかく、普通沖縄では、劇的為組みの濃厚なものだけを組踊りと言つて、他の奇術的のものは、組踊りと考へてゐないのである。
ところが、只今では、沖縄でも、此組踊りをいつでも見るといふわけに行かないのである。一人でやれる芸でないから、いつでもやれる、又、一度やれば一年後にやれる、といつたものでなく、数人が相当の期間稽古をしなければならぬので、段々衰へて来た。明治以前は国王の保護があつたけれども、明治以後はそれがなくなつたので、もう真面目にやれなくなつたのである。只今残つてゐるのは、一代前の冠船踊りをやつた人が好きな人に伝へた、それが残つてゐるのであるが、その先輩達も、もう古老に達してゐるので、此人達がなくなれば演出をする人がなくなつてしまふ。我々が急いで此催しを企てた所以である。