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TORENDIA

巫女と遊女と

本文約2,500字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

江戸時代の遊郭における遊びや饗宴の形式と、そこで働く遊女の役割を考察する。吉原の客を大尽と呼ぶ呼称が神社の神々に由来し、饗宴が祭祀の形式を継承していることを指摘する。また、遊女が担っていた高い教養と、かつて村落で婚姻前の男女に宗教的な儀式を通じて結婚の作法や資格を授けた役割について論じる。遊女が宗教的関門としての機能を果たしていた背景から、生殖や婚姻と信仰の関わりを綴る。

折口信夫

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🎧 巫女と遊女と / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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大尽と末社 我々は遊郭の生活は穢いものと思つてゐるが、江戸時代の小説・随筆等を読むと、江戸時代の町人は遊郭生活を尊敬してゐる。段々調べてみるとその生活も訣る。遊びにゆく人達は目的は同じところなのだが、直接に売色に関係した事を目的としてゐない。吉原・新町・島原等に於ける遊郭の本格的な遊びをするお客をだいじんと言ふ語で表してゐる。大尽と書いてゐたが、元は大神と書いたのである。それに対してお供が従いてゆく。それを末社といふのだが、後に太鼓持ちを末社と言ふやうになつた。それは大尽についてゆくお供と末社との間が離れてゐるので、お供(太鼓持ち)を末社と言ふやうになつたのである。

神社に於いては主座の神が大神であり、そこに配合せられてゐる小さな神が末社である。ところが吉原では末社とは言はない。と言ふのは江戸の町を対象としてゐるからである。昔の人は都会と郊外とを区別して、郊外に住む人は江戸の町に対して江戸といつたのである。

大尽と言はれる男が伴れてくるお供をえどがみといひ、その土地の人間で大尽を取り巻くものをぢがみと言つてゐる。それで見ても大神・末社等の語は神社の神々によせてゐる。なぜかと言へば現在の神社の性格では訣らないが、昔の神社の祭りの主要なものは宴会であつたのが、近頃になつて厳粛な儀式ばかりを残してゐるのである。要するにお祭りが盛んになると言ふ事は、饗宴が大きくなることであつた。

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