夏芝居
本文約13,200字 ・ 読了時間 約27分
あらすじ(AIが作成しました)
真夏の情景と歌舞伎の夏芝居との関わりを考察する。怪談物が夏や盂蘭盆の時期に上演される背景には、農村の季節行事や信仰が深く結びついている。踊り念仏や人形浄瑠璃の演出が取り込まれ、水芸や早替りといった技術が発展した。伝説や怨霊を主題とする演目は、水神祭との関連や亡魂を慰める念仏の精神を経て、歌舞伎の重要な演目として伝承されてきた。本書は、それら芝居の根底にある民俗的な信仰や季節芸能としての起源を丹念に辿り、近代化によって変容する演劇の在り方を論じる。
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真夏の天地は、昼も夜も、まことに澄みきつた寂しさである。日の光りの照り極まつた真昼の街衢に、電信柱のおとす影。どうかすると、月の夜を思はせる静けさの極みである。夜は又夜で、白昼の如く澄みきつた道の上のわづかな陰が、道をしへでも飛び立ちさうな錯覚を誘ふ気を起させる。世の中が昔のまゝだつたら、都会も田舎も今はかう言ふしみ/″\した寂しさの感じられる夏の最中である。かう言ふ季節の、身に沁みた印象が、はなやかな舞台を廻り道具にして夏の芝居にひそかな、どうかすれば幽暗な世界を出現させようとするものなんだらうか――。夏の歌舞妓の舞台出入りの単純にして、ものゝさびしさ。かうした心の奥に待ち迎へるものがあつて、単純にして爽快に、幽暗であつて寂寥な夏狂言を呼び起したのだ、と言ふのだつたら、必しもその心理的根拠は、否むわけにはいかない。だが、これに限らず、さうした心の底の印象だけでは、人事は動いては居なかつた。
其に今一つ、もつと素朴にものを訣つてゐる人たちがある。「鯉つかみ」のやうな水芸に近い狂言、「山帰り」のやうな身軽な季節の所作事の一団があるのだから、「四谷怪談」だの「累物語」だの「小幡小平次」「皿屋敷」だの、「笠森おせん」なり、新しい所では「敷島譚」なり「乳房榎」なり「牡丹燈籠」なり、皆身軽で、経費が尠くて、水のふんだんに使はれる場面もあるのだもの。何もかも脱ぎ棄てたいと言ふ苦しい気持ちを救ふ為に、怪談物が行はれるのも不思議はない。五月興行から盆狂言へと飛ぶ、小屋のあそんでゐる間に、廉価の芝居を打つたのが起りだと言ふのである。聞いて見れば別に、其をかれこれ言ふ程の問題でもない。だが其は結果であつて、夏芝居に怪談物の出る理由にはならないやうだ。