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TORENDIA

見ものは合邦辻

本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

東京劇場で行われた七月興行の歌舞伎演目各々を論じる。合邦辻における俊徳丸の配役への期待や、髪結新三、夏祭、江島生島、藤弥太物語の各演技を寸評する。役者たちの型や演技の変遷、演出の構成における課題を鋭く指摘しつつ、新羽左衛門による静御前の好演などを通じて、伝統芸能の現状と今後の発展のあり方を考察する。

折口信夫

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🎧 見ものは合邦辻 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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東京劇場の七月興行のよさは「合邦辻」のよさである。これに俊徳丸を菊五郎がつきあつたら、どんなに歌舞妓復興の気運を高めることだらう。「髪結新三」は、菊五郎式の解釈は、富永町の場で急に善良な人間になつてしまふ。これではお熊が、この無頼漢に恋を感じたといふ脚本が、も一つ書かれさうである。

「かつをは半分もらつてゆく」の軽くさらふ様な味が役者にすら感じられなくなつてゐる。私など場違ひの者には、年々勘にはづれてゆく様な気がする。当然さうした書き替へをしてもよい時になつたのである。もうあの道徳は――もしくは悖徳は、われ/\の胸にぴんと来なくなつてゐる。「鈴ヶ森」では、例のとほり上級と下級の両雲助群が出て、物もなげに漫歩する。それと、年と共に醜悪な扮装を物々しく凝らすやうになつた。綺麗事でもない芥を洗ひ棄てなくては、本流の煩ひになる。

「夏祭」では、型破りによく役を皆がとつてゐる。これでは多賀之丞の三婦女房のおつぎなどが、堂々として見えても致し方ない。吉之丞の義平次、することはよいが、身上の道化敵になるまいとの努力が、ちつとも愛嬌のない悪年寄にしてしまつた。「兄よ暑いなあ」の棄てぜりふめいた文句も、やつぱり仁にはまらなくては意味のないものだとわかつた。蛙見得が、蟹見得と改称しさうなのも、気の毒だつた。

三津五郎の古い持ち役一寸徳兵衛からして、代役のやうに見えるのは、こちらの目がわるいのだとつく/″\反省した。今度は藤弥太を初めに、色々重要な役に回つてゐる。こゝで遅まきながら立て直して、新しく立役の店を出す気になつてほしい。

「江島生島」は、為出しのやうに見えて大切な海女たちなのだが、為出しのやうにしか見えないのは、何か構成の上に、誤算があるらしい。殊に可愛い子どもが二人、狐につまゝれたやうに出て来るのは、舞踊劇の夢幻味に対する放しでほかない。

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