TRENDIA CLASSIC

入れ札

菊池寛

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上州岩鼻の代官を斬り殺した国定忠次一家の者は、赤城山へ立て籠って、八州の捕方を避けていたが、其処も防ぎきれなくなると、忠次を初、十四五人の乾児は、辛く一方の血路を、斫り開いて、信州路へ落ちて行った。

夜中に利根川を渡った。渋川の橋は、捕方が固めていたので、一里ばかり下流を渡った。水勢が烈しいため、両岸に綱を引いて渡ったが、それでも乾児の一人は、つい手を離したため流されてしまった。

渋川から、伊香保街道に添うて、道もない裏山を、榛名にかかった。一日、一晩で、やっと榛名を越えた。が、榛名を越えてしまうと、直ぐ其処に大戸の御番所があった。

信州へ出るのには、この御番所が、第一の難関であった。この関所をさえ越してしまえば、向うは信濃境まで、山又山が続いているだけであった。

忠次達が、関所へかかったのは、夜の引き明けだった。わずか、五六人しか居ない役人達は、忠次達の勢に怖れたものか、彼等の通行を一言も咎めなかった。

関所を過ぎると、さすがに皆は、ほっと安心した。本街道を避けて、裏山へかかって来るに連れて、夜がしらじらと明けて来た。丁度上州一円に、春蚕が孵化ろうとする春の終の頃であった。山上から見下すと、街道に添うた村々には、青い桑畑が、朝靄の裡に、何処までも続いていた。

関東縞の袷に、鮫鞘の長脇差を佩して、脚絆草鞋で、厳重な足ごしらえをした忠次は、菅のふき下しの笠を冠って、先頭に立って、威勢よく歩いていた。小鬢の所に、傷痕のある浅黒い顔が、一月に近い辛苦で、少し窶れが見えたため、一層凄味を見せていた。乾児も、大抵同じような風体をしていた。が、忠次の外は、誰も菅笠を冠ってはいなかった。中には、片袖の半分断れかけている者や、脚絆の一方ない者や、白っぽい縞の着物に、所々血を滲ませているものなども居た。

街道を避けながら、しかも街道を見失わないように、彼等は山から山へと辿った。大戸の関から、二里ばかりも来たと思う頃、雑木の茂った小高い山の中腹に出ていた。ふと振り顧ると、今まで見えなかった赤城が、山と山の間に、ほのかに浮び出ていた。

「赤城山も見収めだな。おい、此処いらで一服しようか」

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