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TORENDIA

尖端人は語る

本文約660字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

書くことに苦痛を感じる著者が、執筆に行き詰まり散歩に出かけた先の公園で、蜻蛉を追う子供たちの姿を眺める様子を綴る。本書は、自身の抱く苦しみや創作の動機を省察しつつ、現代において創作活動を維持するための静謐さを得る困難さについて論じる。かつてのロマンチシズムから脱し、現実を冷静に観察しようと試みる作家の孤独と、無心に遊ぶ子供たちの対比を通じ、表現者としての葛藤を描く。

堀辰雄

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🎧 尖端人は語る / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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私は書かうと思つてもどうしても書けないやうな時がある。

さういふとき私はへとへとに疲れ、そして書くことは何と馬鹿馬鹿しいことだらうなどと考へながら、私は公園へ散歩に出かけてしまふのである。すると公園の中で、私は子供たちが長いモチ竿をもつて蜻蛉を追ひかけてゐるのを見る。私には彼等の姿が羨しくてならない。もし出來たら、私も書くのなんか廢めてしまつて、彼等の仲間入りがしたい。それほど書くことは私には苦痛なのである。それなのに何故私は書くのを廢めないか? 私が一昔前の詩人だつたら、私は苦しいから書かずにゐられないのだと言つたかも知れない。だが今日の詩人は知つてゐるのだ、苦しい人間が苦しいと書くのは小鳥が歌を歌ふのとすこしも異らないことを。そして今日、誰がそんな小鳥の歌などを聞いてゐるものか。

ロマンチシズムの時代はもう過ぎたのである。今日を支配してゐるのはレアリズムだ。我々の苦痛が人々を打つためには、それが我々の心臟から出來るだけ切離されてゐなければならないのだ。

今日、我々は苦痛に乘じてものを書くことを禁じられてゐる。我々は平靜さの中でのみ書かなければならない。そしてその平靜さを手に入れることがいかに困難であることか。私がこのやうに書かうとしても書けないのは全くその平靜さを手に入れることの出來ないためだ。私は何度も何度も、子供たちが蜻蛉をねらふやうに、それをねらつたのだ。だが、私は駄目だつた。

それだのに、いま私の目の前で無心に遊んでゐるこれらの子供たちは何と蜻蛉をねらふことが上手なことか! おお、私の天使たちよ!

完

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