嘉村さん
本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
嘉村礒多との数少ない面会での記憶を綴る。著者自身の作品を好んだ嘉村との対話を通じ、創作における事実と虚構の境界、そして小説内の人物と現実の人物との微妙な重なりについての感慨を記す。執筆した私小説的な短編について、嘉村から問いかけられた際の本音や、互いに微笑み合った交流の様子、そして最後に別れを告げた場面までを丁寧に描写し、作家同士の静かな心の交流とその独自の別れの形を回想する。
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嘉村礒多さんとは三遍ばかりお會ひしました。
去年の四月頃、或る用事があつて、はじめて私が南榎町のお家をお訪ねしましたら、何處かお體が惡くて寝ていらしつたらしい嘉村さんは、寢卷のまんま、玄關まで飛び出していらつしやいました。そしてそれから今度は普段着に着換へられて、出直していらしつたが、しかし如何にもお元氣らしかつたので、私はついそのまま長居をしてしまひました。その時は、何か原稿でもお書きになつたあとで、ただ何となく御休息されてゐたのだらうぐらゐに、私は自分にもよくそんなことがあるので、呑氣に考へてゐたのです。
嘉村さんは私の「あひびき」といふ小品をたいへん好いてゐてくれました。さうして二度目にお會ひした時でしたか、それを私の前で言はれ「あれは事實のままではありませんか?」と、すこし微笑をされながら、私に訊かれました。そんな時、若し他の人の前だつたら、「いや、ただあの中に出てくる西洋館だけは實際あつたんだ」ぐらゐな返事をしたかも知れません。が、私は嘉村さんを前にして、ほとんど同時に二通りの返事を考へついて、どつちにしようかとすこし困つた顏をしてゐました。――どうもあれは何もかも嘉村さんのお考へなさるやうな事實のままぢやない、しかし自分の實際に感じなかつたことは何一つ書かなかつたつもりだ。もしあの廢屋だけを事實としたらそれ以外のものもみんな同じぐらゐに事實だと言ひたいし、それを虚構だとするとあの廢屋だつて同じやうな虚構だと言ひたいやうな氣がする。――そんな風にどつちにしようかなと考へながら、私はわれにもなく何もかもつくりごとですと言つてしまつた。……しかし嘉村さんは、すぐ分かるやうな嘘をついた子供をでも見るやうに、私の方を御覽になつて、なごやかに微笑んで居られました。そこで、私もしまひには、微笑み出しました。