本文へ移動
TORENDIA

萩原朔太郎

本文約10,800字 ・ 読了時間 約22分

あらすじ(AIが作成しました)

明治時代に前橋で生まれた萩原朔太郎は、幼少期から音楽や文学に親しみ、孤独な少年時代を過ごす。第五高等学校を中途退学後は詩作の道を歩み、雑誌「ザムボア」への投稿や室生犀星との交流を経て、詩人としての地歩を固める。後に上京し、詩集『月に吠える』や『純情小曲集』などの著作を残すほか、奇術や催眠術へ深い関心を寄せる。本作は、詩人の生い立ちから交友関係、そして晩年の生活や創作活動に至るまでの歩みを綴る。

堀辰雄

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 14

萩原朔太郎は明治十九年十一月一日*、上州赤城山の麓、利根川のほとりの小さき都會である前橋市に生れた。

* 彼はいつも自ら明治二十一年生れと記してゐたが、それは誤つてゐたのである。しかし、十一月一日に生れた長子であつたので、朔太郎といふ名をつけられたといふのは本當である。  父萩原密藏は、大坂の人で、明治十五年東京醫學校を出られると、ただちに前橋に來られて、醫を業とせられてゐた。母は慶といつて、川越の八木氏の出である。そして長子である彼の他には、三人の妹と一人の弟とがゐる。

彼はその兩親よりも、母方の祖父に一番似てゐると云はれる。その祖父八木初といふ人は、川越松平藩士で、會津戰爭のとき、越後法師温泉にて、敵方の隊長河合某を六連發のピストル*にて打ちとつたことのある人である。非常に嚴格な人であつたさうだが、又なかなかハイカラな趣味の持主でもあつて、さういふ點でも將來の詩人となるべき彼の上には深い影響を與へたのであらう。

* 彼の晩年に書いてゐた一册の手帳に「ピストルの話」といふエッセイのための草案らしいものが二三頁にわたつて記せられてあるが、それはその祖父の若いころの話をすぐ私に聯想せしめた。

小學校にはひつてから、彼は少年雜誌「小國民*」を毎號愛讀するやうになつた。それは當時(明治二十年代)の時代の思想を反映して、銅版畫などの插繪の豐富に入つた、すこぶる文明開化趣味の横溢した少年雜誌であつて、それが祖父の影響と相俟つて、後年の彼の特異なる趣味を培つたものといへよう。

* 彼の書庫の一隅にその明治二十七八年ごろの「小國民」が一束藏せられてある。しかし、これは晩年になつてから古本屋で見つけて新たに買ひもとめたものださうである。  小學の學科のなかでは、これは父讓りで、數學が一番得意であつたといふことである。又、彼は幼時から大へん音樂が好きであつた*。

* 「四季」萩原朔太郎追悼號所載、萩原彌六「兄の事」參照。

堀辰雄の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本