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TORENDIA

續プルウスト雜記

本文約9,900字 ・ 読了時間 約20分

あらすじ(AIが作成しました)

二十代を終えようとする著者が、マルセル・プルウストの作品や関連する論考に触れながら自身の内面を再発見していく過程を綴る。軽井沢での記憶の蘇りや、ジョルジョ・デ・キリコの絵画との対峙、さらにサミュエル・ベケットによるプルウスト論などを通じ、著者は自身の文学的態度を見つめ直す。無意的記憶や過去と現在が交錯するプルウストの方法論を辿りながら、三十歳を迎えた著者が再び創作と読書に精力を傾けていく姿勢を描く。

堀辰雄

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プルウストに關する三つの手紙を神西清に宛てて書いてから數ヶ月が過ぎた。

その間、私は心にもなく、プルウストの本を殆ど手離してゐた。

唯、ときたま、ガボリイのプルウスト論の中で見つけた「私の月日が砂のやうに私から落ちるのを感ずる悦び」と云ふクロオデルの言葉が思ひがけずに私の口をついて出てくるやうな瞬間があつた。そしてちよつとの間だけ、私はその文句そつくりの悦びに浸つてゐるのだつた。

そしてその時はまた、私に、數ヶ月前プルウストを夢中になつて讀んでゐたときの思ひ出がいつの間にか蘇つてゐる時でもあつた。

その數ヶ月の間に私は何をしてゐたか? 私は俗な小説を二つばかり書いた。

夏のはじめに、ふと口に頬ばつたボンボンの味が、ながいこと忘れてゐた夏休みの樂しさだとか、悲しみだとかを、私のうちにまざまざと蘇らせた。輕井澤のホテルに飛んで行つて、私はせつかちにその思ひ出を書取つた。

秋になつた。ジョルジュ・ガボリイの「マルセル・プルウストに就いてのエッセイ」を讀んだ。ガボリイは、すでに死に瀕してゐたプルウストの代りに「ソドムとゴモル」や「囚はれの女」の校正をした時のことなどを物語つてゐる。これを讀んでゐたら私は急にその二つが讀みたくなつた。

私は「ソドムとゴモル」を讀み出した。が、すぐにそれを放棄しなければならなかつた。秋には定期的に出る熱がまたしても私を襲ひ出したから。

一月ばかり私はぢつと寢てゐた。そして僅かに「ルヘルム・マイステル」などを讀んだ。

冬になつた。私の二十代はそんな空虚のまま、この冬のうちに閉ぢようとしてゐた。

私は再びせつかちに私の二十代の最後の小説にとりかかつた。それが私の過去の作品の無意味な繰返しになりさうなことは自分にも分つてゐた。しかしその時はどうしてもこれを書いてしまはなけれは他のものには手がつかないやうな氣持だつた。

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