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TORENDIA

「エル・ハヂ」など

本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

モンテ・カッシノ僧院の老僧院長とジィドの音楽談義を回顧し、ジィドの『ショパンに就いてのノオト』について論じる。ショパンの音楽における純粋性や、ボオドレエルの詩との共通性を紐解きつつ、著者が翻訳した『エル・ハヂ』という物語が孕む不安と、ショパンの楽曲が持つ凄愴な響きとの響き合いを考察する。ジィドの文体と音楽の関係を軸に、芸術的な美学と作品の背後にある空気感を描き出す評論。

堀辰雄

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🎧 「エル・ハヂ」など / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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「羅馬を後にして、カンパニヤの野邊を横り、アルバノの山の東を走り、險しき山の崖、石多き川の谷を過ぎ、いつしかカッシノに著けば、近くモンテ・カッシノ山の聳ゆるあり、僧院の建物見ゆ。」とは濱田青陵の南歐遊記の一節である。

そのモンテ・カッシノ僧院に、ジィドは或年(戰爭の數年前)一週間ばかり滯在してゐた。さうしてその地を立ち去らうとした日、病氣のため謁見できずにゐた僧院長にはじめてその自室に呼ばれて、挨拶をした。僧院長はもう非常な高齡で、衰弱して居り、やつと椅子に靠れるやうにして、ジィドを側に坐らせて、しばらく音樂談をした。

「私はあなたが音樂のお好きなことを聞いてゐる。毎晩ピアノをお彈きになつてゐたさうだが、私はそれが聞けなくて、非常に殘念だつた。私もピアノをやる。が、もうずつと以前から彈けなくなつて、ただ音譜を讀むだけで滿足してをる。無言で音譜を讀んで、想像裡に音樂を聞くのも、これでまた樂しみなものだ。かうやつて一人で臥てをるときなど、ときどき私の持つて來さすのは、聖徒傳のやうな本でなく、音譜の類だ……で、私がどういふものを持つて來さすかと思ふね。それはバッハでも、またモオツァルトでさへもない。それはショパン――あのもつとも純粹な音樂だ」

その年老いた僧院長の率直な言葉にジィドは甚だ心を動かされた。さうしてジィドは最近「ショパンに就いてのノオト」を上梓したをり、その本をその僧院長に獻じてゐるのだ。

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