巴里の手紙
本文約11,700字 ・ 読了時間 約24分
あらすじ(AIが作成しました)
1902年夏、彫刻家ロダンに学び、自身の仕事を確立するために初めてパリを訪れた詩人の孤独な日々を描く。慣れない異国の地で、街の雑踏に翻弄されながらも、病院の前を行き交う人々や路上の老人といった都会の断片を鋭い眼差しで観察する。後日『マルテの手記』に結実することとなる、パリでの生活や街の情景を綴った書簡を通じ、詩人が自身の生き方や仕事と対峙し、深い苦悩の中から新たな希望を見出そうとする姿を追う。
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ライネル・マリア・リルケは一九〇二年八月末はじめて巴里に出た。「美術叢書」(Die Kunst)を監修してゐたリカルド・ムウテル教授に囑せられてロダン論を書くためであつた。リルケは先づ、ソルボンヌ區トゥリエ街十一番地に寓した。八月二十八日の夕方、妻クララに宛てて、「誰れももう疑へませぬ、私は巴里に居るのです、いま私の住まつてゐるこの一隅がどんなに物靜かであつても。私は唯一つの期待(une seule Attente)です。どんな風になることでせう? 私の部屋は三階か四階にあります(私はそれを數へようとはしませぬ)、そして私を得意にさせてゐるのは、この部屋には鏡のある煖爐、振子時計、それから二つの銀の燭臺があることです……」と書いてゐる。巴里とロダンと――この二つのものこそ當時のリルケにとつては彼のすべてであつた、と言へる。私は此處にその最初の巴里滯在中の詩人のすがたを彷彿せしめるに足りる三つの手紙を抄する。
後出の妻クララ及びロダンに宛てられた二つの手紙は、前述のトゥリエ街の寓居で書かれたものだが、最初のルウ・アンドレアス・サロメに宛てて書かれた手紙は、その翌年羅馬から獨逸のヴォルプスヴェデに歸つてから當時を追想して書かれたものである。この手紙の中に精妙に描かれてゐるいくつかの巴里の情景は、後日「マルテの手記」の中に殆どそつくりそのまま用ひられてゐる。
一 ルウ・アンドレアス・サロメに