世の中には色々な職業がある。肉をひさぎ、貞操を売って生活してゆく女があるかと思うとそういう女の上前をはねてくらしてゆく奴もある。泥棒が悪いというなら、泥棒に凶器を売る銃器店や、金物屋もわるいことになる。金貸しが不徳だというなら、金貸しから金を借りる者も共犯者のわけだ。死刑執行人だって、国家の秩序を維持してゆくにはなくてはならぬ職業といえる。悪人のために生活するのが悪いなら、刑事裁判所の役人はみんな道徳上の罪人のわけだし、病人がたくさん出れば家業の繁盛する医者や、死人が多いほど収入のある僧侶などは最も恥ずべき職業だという寸法になる。
だから僕は要するに、どんな職業だってみんな社会に必要だからこそ存在するので、一概に、あれは高利貸だから代議士になる資格がないの、あれは女郎屋の主人だから、市会議員になっちゃいけないのとは言わない。
だが、それ程さとりきっている僕でも、新聞の探訪記者という職業だけは、つくづくいやになっちまうことがある。僕だけは、ほかに取り柄もなし、もう三十六にもなって、いまさら職業がえでもあるまいから、まあ、社で使ってくれている間は観念して、はたらいてゆくことにきめているが、この職業だけは孫子の代までさせたくないと思っている。
といって、探訪記者という職業がしょっちゅう面白くないことばかりあるのかというとそうでもない。ときどき胸のすうっとするような痛快なこともないではない。だが要するに、誰かも言ったように、人生には愉快なことと、不快なこととを差し引きすると、不快なことがずっと多いものだ。ことに探訪記者なんて職業をやっていると、人生の裏面ばかりをさがしまわっているせいか、世の中には不幸な人間や、不快な出来事ばかりしかないような気がする。そして、かくれている不幸な人間を明るみへ出し、人の気のつかない不快な出来事を世の中へ公表して、世の中をますます暗黒に、ますます不浄に、ますます堪え難いものにしているのが我々探訪記者だというような気がするのだ。