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TORENDIA

伊豆の国にて

本文約890字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

探偵小説の現状や書き手の抱く葛藤を考察し、著者が求める文学のあり方を綴る。後半では、ドストエフスキーが持つ神経を刺激するような作品への嗜好を語り、読書という行為そのものに対する独自の哲学や、日々の生活の中にある雑多な感覚や環境について淡々と記している。文壇と探偵小説の双方に共通する行き詰まりの打開を模索する中で、執筆という行為を通じて自由な思考の条件を並べ立て、自身の精神的な要求と向き合う姿勢を写し出す。

平林初之輔

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🎧 伊豆の国にて / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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文壇の人にあうと探偵小説をすいている者が多いようである。『新青年』四月号のマイクロフォンを見てもその一班が知れる。ところが探偵小説の作者や翻訳者の中には、探偵小説にあきたりない感じをもっている人が少なくとも少しはある。江戸川乱歩氏はときどきそういう口吻を洩らす。延原謙氏も探偵小説でないものが翻訳してみたいというような口吻を洩らしたことがある。少なくも短銃物は真っ平だと考えている人はそうとう多い。挿画にでもピストルはかきたくないと松野氏も言っていたように記憶する。

「文壇小説」も「探偵小説」もひとしく行き詰まって新局面の打開を求めているらしいことが、双方の陣営から起こる嘆声によりてうかがわれるように思う。

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僕は体質上脂肪を要求しているので、鰻なら三人前位くうが、他のものにはあまり食欲がない。頭の方もそれに似ていると見えて、脳細胞をしびらせるような深刻なものを一番に要求する。こういう要求に答えてくれたものは今までにドストエフスキー一人位である。探偵小説にも僕はそういう種類のものを喜ぶこというまでもない。

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トルストイは、子供の時分の思い出を書いた中に、甘い菓子を食いながら、ベッドの上に寝ころんで面白い小説を読むのが人生至上の楽しみだったと言っている。汚い話だが、放尿し、脱糞し、浴みしてしかる後に適度な温度の中で(この温度という奴が僕には一番大切だ)、仰向けに寝ころんで(寝ころぶという姿勢は重力に対して最小の努力で抵抗できる)、人事上の心配からすっかりのがれて、必要なだけのポケット・マネーをもって、健康を享楽しながら読書するのは人生至上の楽しみなりと私は言おう。年をとってくるとだいぶ条件がむずかしくなってくる。筆というものは口と同様に重宝なもので、こんな虫のよい条件を並べてだけはみることができるのである。

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今日は天気がよい。屋根瓦の上に堅い砂がちらばっていて、その上をトタン板を引きずる音がする。こんな音をきいたらビスマルクでも神経衰弱になるだろう。ただしこれは天気のよいことと別に関係はないのである。せっかく書いたものだから消さずにおいただけのことだ。

完

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