TRENDIA CLASSIC

二つの文学論

平林初之輔

1 / 3

ごく最近に私は二つの文学論を読んだ。一つはドイツのマルクス主義者フランツ・メーリングの文学論を川口浩氏が編訳した「世界文学と無産階級」という書物で、いま一つは、イギリスでショーと並び称せられた特色ある批評家チェスタトンの「探偵小説擁護論」(『新青年』所載)である。

前者の巻頭の「芸術とプロレタリアート」という論文の一節に「現代芸術が非常に悲観的な特徴をもっているのに反し、近代のプロレタリアートは非常に楽観的な特徴をもっている」という一句がある。現代の芸術が悲観的であるのは、彼によれば、例えばそれが「好んで描く貧困からの出道を知らない。現代芸術にぜんぜん欠如しているところのものは階級意識ある労働者にとって生命中の生命である、かの喜ばしき闘争要素である」

この間題はかつてプロレタリア文学における明るさの問題として、日本でも論じられたはずであるし、現在でも、悲観派と楽観派、暗黒派と光明派、現実派と理想派との対立となって存続している。そして最近には、生田長江氏の左翼の諸作品に対して加えた批評とそれに対する片岡鉄兵氏の駁論(ともに『読売新聞』所載)および川端康成氏の『文藝春秋』二月号の時評等の対立によりてこの同じ問題が再燃しようとしている。

私自身はプロレタリア文学は、暗かるべしとする現実派の主張、現実を現実として描くことに重きを置く主張は、ややもすれば「貧困の中にただ貧困をのみ見る」態度に堕する危険性を十分もっていると同時に、あまりに明るすぎる、「ピクニック」小説にもやはりそれ自身の危険があるので、生田長江氏の批評は、一般論としてでなく、特定の二三の作品について加えられた批評としての限りにおいては正しいものをもっていたと考えている。

平林初之輔の他の作品