TRENDIA CLASSIC

夏の夜の冒険

平林初之輔

1 / 7

これは一九三〇年型の実話ではなくて、ごく古風な実話である。

今から十年ほど前私は内幸町のある会社につとめていた。その会社には、共産党の市川正一君、文芸戦線の青野季吉君、大竹博吉君のロシア問題研究所の仕事をしている時国理一君、外務省の板倉君、日日新聞の永戸君なども一しょにはたらいていたのだ。

その当時、時国は中里にすんでいた。私は田端にすんでいた。そして二人とも夜勤の番だったので、夕方の五時に出社して、夜中の十一時に社をひきあげることになっていた。二人とも、出社の時刻はおくれても、退社の時刻は一分間だっておまけをしないなまけ者だった。

夏のことであった。

内幸町の会社を十一時かっきりに出たのだから、駒込橋で降りた時は十一時半から十二時までの間であったことは間違いない。

駒込橋を渡った右側に小さいカフェがあった。名前は忘れた――いまでもあるかどうかは知らない。時国の話によると主人は絵かきだということで、下にも二階にも、壁間に怪しげな油絵の額が沢山かかっていた。

二人は時々そこへ寄ってビールを飲んだ。

その晩もそこへ寄った。誰の内閣だったか忘れたが、少なくも浜口内閣でなかったことはたしかで、十二時限り営業まかりならぬというようなお達しは、その頃は出ていなかったから、十二時頃でも喜んで私たちを迎えたのであった。

二人で麦酒の三四本ものんでコールビーフの一皿も食べたことと思う。とにかく一時間ほどそこで時間をすごして外へ出たのであった。

上野行も新宿行ももう終電車が通りすぎてしまって、駅員は帰り支度をしていた。

時国と私とは、橋の上に立って、冷え冷えする夜風で涼をとっていた。

すると駅の建物のうしろのつつじや熊笹のしげっている中で、何かがさがさ動いている。

――何かあそこに動いているじゃないか?

――何だろう?

二人はその方を注視した。

――何だか人間のようじゃないか?

――子供のようだね。

私たちは改札口の方へ降りていった。

――何ですか?

一人の駅員がとがめるように言った。

――あそこに子供がいるんですよ。ほらあのつつじの根本ががさがさ動いているでしょう。

――なる程。

駅員もバスケットを下げたまま引きかえした。

平林初之輔の他の作品