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TORENDIA

三本の棗

本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

浜田山の庭にある棗の木を起点に、幼少期に祖父の家で親しんだ一本目の棗、結婚後に大森の家で育てた二本目の棗との記憶を回想する。さらに、戦後に現在の庭で見出した三本目の棗を隣家から譲り受け、慈しみ育てていく過程を通して、自身の生活の変遷と、失われた時間や風景に重ねられた追憶の情景を綴る随筆。

片山廣子

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🎧 三本の棗 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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いま浜田山の庭にある棗の木は私にとつては三本目の棗である。小さい時泊りに行つた埼玉県の祖父の家に大きな棗があつた。祖父の家の表門をはいるとすぐ左手に米倉が立つてゐたが、それは古びても美しい白壁の倉で、その戸口のすぐ側に大きな棗の木が立つてゐた。祖父の家はひろくて、奥の倉につづく座敷の前には石の多い奥庭があり、家の南に建て増された新座敷とよばれる三間ばかりの客座敷の前には古風にきどつた庭があつて、椽側ちかく木賊がすつすつと立つてゐて、外をかこむ竹籔の柔い青さがこの庭と一つの世界に見えてゐた。しかし米倉のそばには庭らしいかざりの石も樹もなく、そこいらじうにおしろいの花や萩が咲いて、鶏どもがちよこちよこ歩きまはつてゐたりして、子供の私ものんびりと鶏を見ながら遊ぶことができて、さうしてゐるあひだに棗の実を採つて食べることを覚えたのである。だれか大人が一しよに立つてゐて食べさせてくれたのが初めだけれど、棗はおいしいなと思つて、私は泊つてゐるあひだ時々倉の前に出かけて行つて食べた。下枝のをとつてみたり、地に落ちてるのを拾つたりした。

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