向嶋
本文約8,800字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
向島はかつて桜の名所として栄えたが、震災後の都市化や公園整備によりその往時の風致は失われつつある。著者は隅田川沿いの変容する景色を眺めながら、関連する文献や碑文を紐解き、幸田露伴ら文人たちが愛した江戸・明治期の情景を追慕する。本書は、往時の墨堤の様子や文人たちの詩作を回想しつつ、自身の文化に対する洞察を交えて、失われゆく風景と江戸から続く文学的伝統を綴る随筆である。
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向島は久しい以前から既に雅遊の地ではない。しかしわたくしは大正壬戌の年の夏森先生を喪ってから、毎年の忌辰にその墓を拝すべく弘福寺の墳苑に赴くので、一年に一回向島の堤を過らぬことはない。そのたびたびわたくしは河を隔てて浅草寺の塔尖を望み上流の空遥に筑波の山影を眺める時、今なお詩興のおのずから胸中に満ち来るを禁じ得ない。そして悵然として江戸徃昔の文化を追慕し、また併せてわが青春の当時を回想するのである。
震災の後わたくしは多く家にのみ引籠っているので、市中繁華の街の景況については、そのいわゆる復興の如何を見ることが稀である。それに反して向島災後の状況に関しては、少くとも一年一回来り見るところから、ややこれについて語ることが出来るような気がしている。吾妻橋を渡ると久しく麦酒製造会社の庭園になっていた旧佐竹氏の浩養園がある。しかしこの名園は災禍の未だ起らざる以前既に荒廃して殆その跡を留めていなかった。枕橋のほとりなる水戸家の林泉は焦土と化した後、一時土砂石材の置場になっていたが、今や日ならずして洋式の新公園となるべき形勢を示している。吾人は日比谷青山辺に見るが如き鉄鎖とセメントの新公園をここにもまた見るに至るのであろう。三囲の堤に架せられべき鉄橋の工事も去年あたりから、大に進捗したようである。世の噂をきくに、隅田川の沿岸は向島のみならず浅草花川戸の岸もやがて公園になされるとかいう事である。思うに紐育市ハドソン河畔の公園に似て非なるが如きものが、ここに経営せられるのではなかろうか。とにかく隅田川両岸の光景は遠からずして全く一変し、徃昔の風致は遂に前代の絵画文学について見るの外全く想像しがたきものとなってしまうのである。