湯どうふ
本文約3,300字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
湯どうふの味わいや思い出、調理法について綴る随筆。著者は、中年からでないと分からないその奥深い魅力を語り、自身が経験した紅葉先生との病床での逸話や、家族や友人たちの湯どうふにまつわる記憶を回想する。さらに、冬の時雨が止んだ穏やかな午後に、季節を感じながら湯どうふを味わう日常の風情を描き、食に対するこだわりや個人的な見解を述べる。
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昨夜は夜ふかしをした。
今朝……と云ふがお午ごろ、炬燵でうと/\して居ると、いつも來て囀る、おてんばや、いたづらツ兒の雀たちは、何處へすツ飛んだか、ひつそりと靜まつて、チイ/\と、甘えるやうに、寂しさうに、一羽目白鳥が鳴いた。
いまが花の頃の、裏邸の枇杷の樹かと思ふが、もつと近い。屋根には居まい。ぢき背戸の小さな椿の樹らしいなと、そつと縁側へ出て立つと、その枇杷の方から、斜にさつと音がして時雨が來た。……
椿の梢には、つい此のあひだ枯萩の枝を刈つて、その時引殘した朝顏の蔓に、五つ六つ白い實のついたのが、冷く、はら/\と濡れて行く。
考へても見たが可い。風流人だと、鶯を覗くにも行儀があらう。それ鳴いた、障子を明けたのでは、めじろが熟として居よう筈がない。透かしても、何處にもその姿は見えないで、濃い黄に染まつた銀杏の葉が、一枚ひら/\と飛ぶのが見えた。
懷手して、肩が寒い。
かうした日は、これから霙にも、雪にも、いつもいゝものは湯豆府だ。――昔からものの本にも、人の口にも、音に響いたものである。が、……此の味は、中年からでないと分らない。誰方の兒たちでも、小兒で此が好きだと言ふのは餘りなからう。十四五ぐらゐの少年で、僕は湯どうふが可いよ、なぞは――説明に及ばず――親たちの注意を要する。今日のお菜は豆府と云へば、二十時分のまづい顏は當然と言つて可い。