霰ふる
本文約8,700字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
若年期より折に触れて不思議な二人組の婦人の姿を目にする民也は、三十を過ぎても彼女たちの変わらぬ容貌に宿世の縁を感じる。霰の降る夜、友人と徹夜の勉強中にふと物寂しさを覚える民也は、亡き母や祖父母の記憶を辿りながら、時折屋敷で聞く足音や井戸の音に想いを馳せる。かつて見た幻影の面影と美しい山の景色を重ね合わせ、降積る霰を白菊のように眺めながら、懐かしい人々に心を寄せる物語である。
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一
若いのと、少し年の上なると……
此の二人の婦人は、民也のためには宿世からの縁と見える。ふとした時、思ひも懸けない處へ、夢のやうに姿を露はす――
こゝで、夢のやうに、と云ふものの、實際は其が夢だつた事もないではない。けれども、夢の方は、又……と思ふだけで、取り留めもなく、すぐに陽炎の亂るゝ如く、記憶の裡から亂れて行く。
しかし目前、歴然と其の二人を見たのは、何時に成つても忘れぬ。峰を視めて、山の端に彳んだ時もあり、岸づたひに川船に乘つて船頭もなしに流れて行くのを見たり、揃つて、すつと拔けて、二人が床の間の柱から出て來た事もある。
民也は九ツ……十歳ばかりの時に、はじめて知つて、三十を越すまでに、四度か五度は確に逢つた。
これだと、隨分中絶えして、久しいやうではあるけれども、自分には、然までたまさかのやうには思へぬ。人は我が身體の一部分を、何年にも見ないで濟ます場合が多いから……姿見に向はなければ、顏にも逢はないと同一かも知れぬ。
で、見なくつても、逢はないでも、忘れもせねば思出すまでもなく、何時も身に着いて居ると同樣に、二個、二人の姿も亦、十年見なからうが、逢はなからうが、そんなに間を隔てたとは考へない。
が、つい近くは、近く、一昔前は矢張り前、道理に於て年を隔てない筈はないから、十から三十までとしても、其の間は言はずとも二十年經つのに、最初逢つた時から幾歳を經ても、婦人二人は何時も違はぬ、顏容に年を取らず、些とも變らず、同一である。
水になり、空になり、面影は宿つても、虹のやうに、すつと映つて、忽ち消えて行く姿であるから、確と取留めた事はないが――何時でも二人連の――其の一人は、年紀の頃、どんな場合にも二十四五の上へは出ない……一人は十八九で、此の少い方は、ふつくりして、引緊つた肉づきの可い、中背で、……年上の方は、すらりとして、細いほど瘠せて居る。
其の背の高いのは、極めて、品の可い艷やかな圓髷で顯れる。少いのは時々に髮が違ふ、銀杏返しの時もあつた、高島田の時もあつた、三輪と云ふのに結つても居た。