TRENDIA CLASSIC

チロルの秋(一幕)

岸田國士

1 / 12

時  一九二〇年の晩秋

処  墺伊の国境に近きチロル・アルプスの小邑コルチナ。

アマノ

ステラ

エリザ

ホテル・パンシヨンの食堂。午後七時。

ストーブの火が燃えてゐる。

ステラ、喪服、ヴエールで眼を覆つてゐる。珈琲を飲みながら、書物の頁を繰る。

エリザ、珈琲注ぎを持ちたるまま、傍らに立つ。

ほかに誰もゐない。

[#改ページ]

エリザ  明日はあなたがおたち、明後日はアマノさん……。 さうすると……

あとは、此のホテルも空つぽ……

沈黙

ステラ  汽車の時間はわかつて。 エリザ  まだ伯父さんが帰つて来ませんの。 もう一日お延ばしになつたら……。

ステラ  だつて、もう荷物ごしらへをしてしまつたんですもの……(間) それに……

雪でも降り出すと厄介だし……。

エリザ  大丈夫ですわ、まだ…… 牧場のサフランが咲いてゐるうちは……(間)

でも……急に寒くなりましたわね。

ステラ  折角、いい落ち着き場所を見つけたと思つてゐたのに……。 エリザ  あなたのやうに、夏はどこ、冬はどこつて、自由に旅行がなされる方は、おしあはせですわ。 ステラ  あたしも、出来ることなら、一と処に落ちついて暮したいの……(間) これでもう、一人ぽつちの旅を二年……

何処へ行つても、何か知ら気に入らないことがあつて、かうやつて方々を歩き廻つてゐるんだわ。

エリザ  アマノさんも、そんなことをおつしやつてましたわ…… あの方も、お国をお出になつてから、随分になるんですつてね――

寒いのは、かまはないから、ここに置いてくれつておつしやるんですけど、あの方お一人の為めに、このホテルを開けて置くわけにも行きませんし……。

ステラ  (書物に眼を落として)フロレンスへいらつしやるんですつて、あの方……? エリザ  さあ……。 それもまだ、はつきりお決めになつたわけぢやないんでせう。

あなたが、シシリイへいらつしやるつていふお話をしたら……

ステラ  (笑ひながら、眼をあげて)なんて?

此の時、アマノ、手にサフランの花束を持ちて入り来る。

岸田國士の他の作品