雑器の美
本文約9,700字 ・ 読了時間 約20分
あらすじ(AIが作成しました)
日常的に使われる安価な雑器には、無心で繰り返される製作過程を経て、自然の摂理と調和した独自の美が宿っている。華美や工夫を排し、実用の中で誠実に奉仕するそれらの器は、名もなき職人の手によって健康的な美しさを体現する。本作は、民衆の生活に根ざした「下手」なものの中にこそ真の美が存在することを説き、現代の審美眼を問い直すとともに、かつての茶人たちが愛でた茶器の本質もまた雑器の美にあることを論じる。
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序
無学ではあり貧しくはあるけれども、彼は篤信な平信徒だ。なぜ信じ、何を信ずるかをさへ、充分に言ひ現せない。併しその素朴な言葉の中に、驚くべき彼の体験が閃いてゐる。手には之とて持物はない。だが信仰の真髄だけは握り得てゐるのだ。彼が捕へずとも神が彼に握らせてゐる。それ故彼には動かない力がある。
私は同じやうなことを、今眺めてゐる一枚の皿に就いても云ふことが出来る。それは貧しい「下手」と蔑まれる品物に過ぎない。奢る風情もなく、華やかな化粧もない。作る者も何を作るか、どうして出来るか、詳しくは知らないのだ。信徒が名号を口ぐせに何度も唱へるやうに、彼は何度も何度も同じ轆轤の上で同じ形を廻してゐるのだ。さうして同じ模様を描き、同じ釉掛けを繰返してゐる。美が何であるか、窯芸とは何か。どうして彼にそんなことを知る智慧があらう。だが凡てを知らずとも、彼の手は速やかに動いてゐる。名号は既に人の声ではなく仏の声だと云はれてゐるが、陶工の手も既に彼の手ではなく、自然の手だと云ひ得るであらう。彼が美を工夫せずとも、自然が美を守つてくれる。彼は何も打ち忘れてゐるのだ。無心な帰依から信仰が出てくるやうに、自から器には美が湧いてくるのだ。私は厭かずその皿を眺め眺める。
一