南京虫日記
本文約6,500字 ・ 読了時間 約14分
あらすじ(AIが作成しました)
1923年、ウィーンからドイツのミュンヘンへ転学した筆者は、教室に近い下宿を探し始める。しかし、次々と借りる部屋で南京虫に悩まされ、やむなく知人の日本媼の部屋へ避難する日々を送る。故郷の父の訃報や関東大震災の衝撃的な報せを受けながら、安住の地を求めて幾度も転居を繰り返す様を綴る。筆者は自身の経済状況と南京虫の脅威に翻弄されながら、異国での過酷な生活実態をありのままに描く。
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西暦一九二三年八月十三日、Rothmund 街八番地に貸間があるといふので日本媼の息子が案内してくれた。そこの女主は Prrtzl といつて、切りに訛のある言葉を使つた。左の方の顔面神経麻痺があるから笑ふたびに顔が右の方に歪んだ。部屋は古くて余り清潔ではないが、裏に面して一間、往来に面して一間ある。今は塞がつてゐるけれど、四五日経てばどれかが明くといふことである。かへり途で、日本媼の息子は、『民顕人は何でも真直に物いふから喧嘩してはいけませんよ』などと云つた。これが候補になつた第一の部屋である。
八月十四日。火曜。教室で為事をしてゐる独逸人の医学士が下宿してゐる家に一つ部屋があるから、若し借りる意志があるなら世話しようといふことであつた。家は Lindwurm 街の二十五番地四階で、女あるじの名を Maistre と云つた。部屋は小さいが我慢が出来る、ただ毎日四階まで昇降することは如何にも大儀だから、第一の部屋が借りられるならばその方にしようと思ひ、明瞭な返詞を与へずに帰つて来た。これが候補になつた第二の部屋である。
八月十八日。土曜。朝食まへに、第二の部屋は、四階だから不便だといふので断りに行つた。それから、朝食を済まして、Landwehr 街三十二番地Cに一間、Sonnen 街二十八番地に一間あるが、いづれも一週間ぐらゐ経たねば明かなかつた。これが候補になつた第三第四の部屋である。