境界なき差別
本文約9,000字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
自然界や日常生活における事象には明瞭な差異が存在する一方、その間には判然とした境界線が存在しないことを論じる。生物の分類や晴雨、昼夜、四季の移ろいなど、あらゆる事象において中間の状態が連続しており、人間が便宜上設けた境界を実在するものと誤解することで、無用な議論や認識の歪みが生じる点を指摘する。分解的研究の重要性を認めつつ、分析した結果を総合する際には、境界を消し去る必要性を説く論考。
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一
この題目を見て、奇態な題と考える人があるかも知れぬ。差別があれば、その間に境界があるはず、境界がなければ、その両側には差別はないはずであるから、「境界なき差別」というのは題目自身の中にすでに矛盾を含んでいると考える人があるかも知れぬ。しかしここに述べんとする事柄に対しては「差別はあり境界はなし」との一句で全部をいいつくし得るゆえ、これよりもなおいっそう適切な題目を付けることはできぬ。
実物について自然物を研究する人は「境界なき差別」に絶えず遭遇する。たとえば、脊に三本縦縞のある蛭の標本と脊に一本の縦縞のある蛭の標本とを比較するとその間の差別は実に明瞭で、この二種の間には判然たる境界があるごとくに思われるが、実物を多数集めて見ると、二者の中間の性質を帯びたものがいくらもあり、三本の縦縞のうち、両側にある二本の色がはなはだしく淡いものもあれば、中央にある明らかな一本の外に両側になお一本ずつ微かな縦縞の見えるものなどもあって、これらを順に並べて見ると、とうていどこにも判然と境界を定めることができなくなる。また蛭には体の後端に吸盤があり、蚯蚓には吸盤がないゆえ、普通の蛭類と普通の蚯蚓類とを比べて見ると、その差別は明瞭で、その間の境界も判然とあるごとくに思われるが、よく調べると、苔の下などにいる陸産の蛭の類には吸盤のないものがあり、他物に吸い付いて生活する蚯蚓の類には体の後端にりっぱな吸盤を備えたものがいくらもある。これらは昔は蛭類の仲間に入れてあったが、だんだん身体の構造を調べた結果、今日では蚯蚓類の方へ籍を移された。かかる次第であるゆえ、模範的の蛭と、模範的の蚯蚓との間にはきわめて明らかな差別がありながら、蛭類と蚯蚓類との境界はどこにあるかと尋ねられると、誰も正確に答えることはできぬ。