TRENDIA CLASSIC

人道の正体

丘浅次郎

1 / 12

世の中には便宜上つねに用いる語で、しかも便宜上、その意味を判然と定めずにおく語がいくらもある。人道なる語もその一つで、列国間にこの語を用いる場合のごときは、あまり深くその定義を穿鑿せぬほうが都合がよろしい。しかしながら一般に個人間に用いるときには、人道なる語は「多少の労力あるいは金銭を費やして他の人あるいは人に近き動物の苦しみを減ずること」すなわち利他同情の行為を意味するように見受けるから、ここにはこの意味に取って人道なるものの正体をいささか論じてみたいと思う。

まず第一に上述のごとき人道なるものは実際に存するものか、または幽霊のごとくに単にうわさだけにとどまって、実際には存在せぬものかと考えてみるに、もし各人が人道を行なうならば世の中は毫も争いがなく、真に平和極楽の黄金世界であるべきはずなるに、実際を見ると世間は全くその正反対で、他人はいかに迷惑しようとも、自分さえよろしければ差支えないという主義が行なわれ、大にしては国と国との間の戦いより、小にしては記念絵端書を買わんとする争いにいたるまで、他人を蹴飛ばし踏み倒しても、ただ自分さえ先へ進み出て目的を達すればよいというありさまで、法律の制裁だになくば、わが靴に塗る脂をえんがために他人を打ち殺すことをもあえて辞せぬような人がどこにも充満し、実に人間とは利己心の凝固結晶したものかと思われるほどであるゆえ、かかる方面のみを見ると人道なるものはどこに存するかと疑わざるをえぬような心地がする。

丘浅次郎の他の作品