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TORENDIA

改善は頭から

本文約3,800字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

丙午の迷信に端を発する悲劇や、根強く残る生活習慣の弊害を論じる。合理的な文明社会において、形式的な文化生活の導入を唱える前に、旧弊な考えを捨て去る精神の改革こそが不可欠であると説く。筆者は、迷信の打破を生活改善の第一段階と位置づけ、他者の思惑を排して断固として行動を変えることの重要性を提示する。二階から家を建てるような現状の改善論に対し、根本からの意識改革を促す評論である。

丘浅次郎

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一

昨年は二十歳の娘で自殺をしたのが幾人もあった。その理由は、丙午の年であるために、縁が遠いのを苦にしてである。まだ年の行かぬ中はさほど気にも止めずにいたのが、そろそろ嫁入りをする年頃になって、こちらで良いと思う縁談を先方から素気なく断られてみると、これではとても善い所へは片付けぬと一途に思い込み、猫入らずを飲むに至ったのであろうが、世の中にこのくらい、不憫なことがまたとあろうか。

丙午に生れようが、丁未に生れようが、人間として、少しも変りのなかるべきことは、常識で考えて見てもすこぶる明瞭であるにかかわらず、丙午の女は男を喰うなどという根もない迷信に捕えられている愚人が世間に多いために、かように可愛そうなことが生じたのであるから、これは迷信者が直接に殺したも同様である。夏の日に重い車を挽かされ、牛や馬が苦しみあえぐのを見かねて、そのためにわざわざ所々に水飲み場を設けてやるほどの善人もある文明の時代に、かような惨酷な殺人罪を黙って見ているとは、なんという辻褄の合わぬことであろう。

先達ても、ある集会の席で人の談話を聞いていると、丙午の迷信を打玻せねばならぬということには、満場一致で賛成のようであったが、さて自分の息子に嫁を貰うときには如何と問われると、丙午はやはり避けたいという人がすこぶる多数であった。迷信をいつまでも跋扈させて置くのはかような人たちである。迷信の害を充分に知りながら、しかも迷信から逃れ得ない人間が多数を占めていては、いつまでたっても迷信の絶える望みはない。丙午のごとき、人を殺すほどの迷信に対してさえ、かような優柔不断な態度を取る人々は、他のやや軽い迷信に対しては、もちろんすこぶる寛大で、人が気にするなら、せぬ方がよかろうとか、人が勧めるなら、やって見るもよかろうというて、許して置くゆえ、馬鹿げた迷信がいつまでも盛んに行なわれる。便所は鬼門を避け、腹帯は戌の日に結ぶというごときことは、これだけを考えれば、別に他人に迷惑をかけるわけでもないから、めいめいの勝手のようではあるがかようなことを是認すれば、やがて、丙午の娘を殺すという結果を生ずる。

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