唯物論とファッシズム
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あらすじ(AIが作成しました)
日本の反動形態である日本型ファッシズムについて、その特有の性質と歴史的背景を考察する。他国のファッシズムとの差異を認めつつも、封建的勢力を利用して発展するという日本固有の特色を分析する。従来の評論の不足を指摘し、史的唯物論に基づいた歴史科学的な洞察の必要性を説く。さらに、ファッシズムを克服する力はリベラリズムではなく、唯物論にこそ存在するという主張を綴る。
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今日の日本の反動形態は、総てが日本型ファッシズムに集中していると見做すことが出来る。日本のファッシズムがイタリヤやドイツ、オーストリアのファッシズムと同じ現象上の規定を持っていないことは明らかで、日本に特有な根本規定がそこでも無論大切であるが、そうだからと云って、日本型ファッシズムがファッシズム一般に属するということを見逃すならば、夫は由々しい誤算である。人によってはファッシズムを日本に於ける封建的勢力の増大から区別しようとするが、併し抑々封建的勢力を原則的に利用して初めて発達し得たし又得るということこそが、日本型ファッシズムの固有な根本特色なのである。
吾々が最も期待するものは、この日本ファッシズムの歴史的な且つ時事的な分析的批評である。歴史的なかつ時事的な仕方に於ては、この問題は今まで殆んど手をつけられてさえいないと云っていい位いだ。これあれの思いつきに基いた日本ファッシズム評論は限りなくあるが、併しまだつき入った見渡しの利いた労作を見たことがない。日本の古来の国民生活の史的唯物論的研究は着々として進められてはいるが、まだその中核的な要約にまで達しているとは考えられない。時代の時事的な洞察と、国史の歴史科学的分析とによって、一日も早く又一言でも確かに日本ファッシズムの本質が明るみに持ち出されることを吾々は期待する。――併しそれにつけても云いたいのは、ファッシズムを克服出来るものは、リベラリズムではなくて唯物論だということである。
(一九三五・九)
完