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TORENDIA

クリティシズムと認識論との関係

本文約25,000字 ・ 読了時間 約51分

あらすじ(AIが作成しました)

クリティシズムの哲学的・認識論的な意義を論じる。芸術を単なる表現と見なす通念に対し、表現の技術としての性質や科学との比較を通じて再検討を行う。否定や批判を消極的と捉える傾向を批判し、論理的・概念的な否定の重要性を説く。さらに文化意識とクリティシズムの相関を考察し、文化を批評する活動が認識論において果たすべき役割を提示する。

戸坂潤

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一

クリティシズムの哲学的意義について、私は前に色々書いたことがある。今これを拡張しようと思う。哲学的意義という規定をもう少し厳密に云えば、夫を認識論的意義と云っていいだろう。なぜ哲学的ということが厳密にいうと認識論的ということになるかは、もっと一般的な先決問題であるが、それは話しを進めて行くうちにおのずから明らかになるとしよう。クリティシズムの認識論的意義とはつまり、認識論に於ける、或いは認識論の上に立っての、クリティシズムの機能ということであろう。この点今の処想像にまかせておく他ないが、もし仮にそうとすれば、クリティシズムが終局に於て認識論そのものの一環で、他ならぬ認識理論の一機能を意味する、という主張を結論しようと企てても、大して異とするには足りないだろう。

だがこういう結論は単に必然であるだろうばかりではなく、実際問題から云うと、今日大いに必要なのである。特にクリティシズムについての知的省察が甚だ進んでいない日本の文化世界に於ては、之が最も必要なのである。そして文化の大道乃至本道を推し進めるための洞察としては、愈々以て之は切実な必要なのである。

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