TRENDIA CLASSIC

復讐

徳田秋聲

1 / 10

たえ子はその晩も女中のお春と二人きりの淋しい食卓に向つて、腹立しさと侮辱と悲哀とに充された弱い心を強ひて平気らしく装ひながら箸を執つてゐたが、続いて来る苛々しい長い一夜を考へると、堪えられない苦痛を感じた。

たえ子がこゝへ嫁いでから、彼是一年近くになつてゐた。勿論それは偶然の――と謂つても、今の世のなかで善良な普通の家庭に於ける結婚を取決める場合に、尽されるだけの順序は踏まれたので、東京にゐる叔母夫婦も出来るだけの注意を払ふのに手ぬかりは無かつた。田舎の彼の家柄とか、出身の学校とか、現在の収入とか、性質とか品行とか、それらのものは型どほりに調べられもしたし、見合ひもしたのであつた。そして其の上でまあ其処いらが落著どころと決つたわけであつた。

彼女自身もそれに不足のある筈もなかつた。幸福な運命の一つを首尾よく自分に引当てたらしく思はれて、内心ほつとしたほどであつた。無論二三年前、学校出たての時分にたゞ漠然と頭脳に描いてゐた夢のやうな空想などは、二三のそんな話を受取るたんびに影が薄くなつて、それに無上の寂しさを感じながらも、恵まれた現在の運命に不服はなかつた。けれど品行方正らしく見えた良人が、会社で一日働いて帰つて来ても、晩酌のときなぞに、そんな事にはまるで馴れない彼女に、何かしら飽足りなさを感じてゐることが、程なくたえ子にも判つて来た。最近たえ子は自分で拵へたものを、良人に食べてもらへるやうなことは滅多になかつた。そのうへ夜明頃になつて、絶望と疲労のために漸とうと/\と眠に陥ちることも珍らしくなかつた。

そんな事が長く続かうとは思はれなかつた。結婚前からの惰勢か、悪友の誘惑か、でなければ酒のうへの気紛れに過ぎないのだと思はれたが、心配をする段になれば際限がなかつた。その上結婚当時の甘い言葉や優しい態度など思合せると、彼の愛も卑劣な欺瞞と賤しい情慾との塊にすぎないのだと思はれた。何も知らない清純な女を係締に[#「係締に」はママ]かけておいて、苦しむのを見て興がつてゐるのだとしか思はれない、彼の享楽気分にさへ触れたやうな不快と屈辱を感じた。

徳田秋聲の他の作品