彼女の周囲
本文約5,100字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
若手作家・大久保の周囲で起きた愛憎劇を描く。大久保は誇大妄想的な気質から内縁の妻・奈美子へ凄惨な虐待を繰り返すが、奈美子は従順にその支配下にあった。友人の竹村は、二人の異常な同棲生活や、奈美子の姉が抱える苦悩を傍観する。やがて大久保が海外へ渡る際、奈美子に対する暴力の痕跡となる髪や短刀を携えていた事実に竹村は衝撃を受ける。本作は、狂気的な才能を持つ作家とその女性が織りなす歪な関係性を克明に記録する。
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彼女の姉だといふ人が、或る日突然竹村を訪ねて来た。
竹村には思ひがけない事であつたが、しかし彼女に若し姉とか兄とかいふ近親の人があるなら、その誰かゞ彼を訪ねてくるのに不思議はない筈であつた。それほど「彼女」は不幸な位置に立たせられてゐた。
彼女といふのは、竹村の若い友人大久保の細君奈美子のことであつた。或ひは世間で言ふ内縁の妻と言つた方[#ルビの「はう」は底本では「ほう」]が適当かも知れなかつたが、大久保の話すところによると、奈美子は彼の作品の愛読者の一人で、また彼の憧憬する若い女性の一人であつたところから、手紙の往復によつて、さうした恋愛が成立したらしいのであつた。竹村はその事について、その当時別に批評がましい意見をもたうとは思はなかつたけれど、ずつと後になつて振返つてみると、彼女は彼の作品と実際の手紙によつて、不運にも彼に誘惑された気の毒な女だとも思へるのであつたが、しかし恋愛の成立については、彼も詳しい事は知らなかつた。
但し同棲後の彼女は、決して幸福ではなかつた。恐らく彼女もさう云ふ運命を掴まうと思つて、彼のところへ来たのではなかつたであらう。彼の作品と彼の盛名と彼の手紙、乃至は写真のやうなものから想像された年少作家大久保が、何んなに美しい幻影と憧憬心の多い彼女の情熱を唆つたかは、竹村にも大凡そ想像ができるのであつた。勿論大久保にも詩人らしい空想があつた。若い女性に対して、純な感情ももつてゐたから、誘惑と言ふのは当らないかも知れなかつたけれど、色々の条件と、同棲生活の結果から見ると、彼の本能が、一人のその若い女性にさういふ風に働らきかけて行つたのは事実であつた。