TRENDIA CLASSIC

彼女の周囲

徳田秋聲

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彼女の姉だといふ人が、或る日突然竹村を訪ねて来た。

竹村には思ひがけない事であつたが、しかし彼女に若し姉とか兄とかいふ近親の人があるなら、その誰かゞ彼を訪ねてくるのに不思議はない筈であつた。それほど「彼女」は不幸な位置に立たせられてゐた。

彼女といふのは、竹村の若い友人大久保の細君奈美子のことであつた。或ひは世間で言ふ内縁の妻と言つた方[#ルビの「はう」は底本では「ほう」]が適当かも知れなかつたが、大久保の話すところによると、奈美子は彼の作品の愛読者の一人で、また彼の憧憬する若い女性の一人であつたところから、手紙の往復によつて、さうした恋愛が成立したらしいのであつた。竹村はその事について、その当時別に批評がましい意見をもたうとは思はなかつたけれど、ずつと後になつて振返つてみると、彼女は彼の作品と実際の手紙によつて、不運にも彼に誘惑された気の毒な女だとも思へるのであつたが、しかし恋愛の成立については、彼も詳しい事は知らなかつた。

但し同棲後の彼女は、決して幸福ではなかつた。恐らく彼女もさう云ふ運命を掴まうと思つて、彼のところへ来たのではなかつたであらう。彼の作品と彼の盛名と彼の手紙、乃至は写真のやうなものから想像された年少作家大久保が、何んなに美しい幻影と憧憬心の多い彼女の情熱を唆つたかは、竹村にも大凡そ想像ができるのであつた。勿論大久保にも詩人らしい空想があつた。若い女性に対して、純な感情ももつてゐたから、誘惑と言ふのは当らないかも知れなかつたけれど、色々の条件と、同棲生活の結果から見ると、彼の本能が、一人のその若い女性にさういふ風に働らきかけて行つたのは事実であつた。

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