閾
本文約6,400字 ・ 読了時間 約13分
あらすじ(AIが作成しました)
大阪での兄の葬儀後、土井は静かな冬の京都へ移り住む。甥に誘われて借りた郊外の粗末な家で、執筆に耽りながら故郷を思わせる冬の風情に心安らぐ日々を過ごす。しかし、金銭的な不安や甥への疑念が影を落とし、滞在の目的や帰路の判断に迷いが生じる。ある夜、土井は北野天神の裏門で高い閾に躓き転倒し負傷する。自身の惨めさを痛感する中で、甥の軽口を聞きながら、滞在の終わりと不確かな日常に向き合う姿を描く。
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その日も土井は町へ牡蠣雑炊を食べに行つた。京都へ来てから、思ひのほか日がたつてゐたので、彼はもうそろ/\帰り支度をしてゐた。六兵衛だとか、ゑり正だとか、そんな老舗へも立寄つて、少しばかりの土産物を買ひ調へてゐた。甥が西陣の織物屋を知つてゐるので、反物も少し心がけたりしてゐた。十二月も早や押し詰つて、余すところ幾日もなかつた。
彼は立寄つたついでに、もつと行つて見たいところが、まだ沢山あつた。食べに行きたいところも多かつた。しかし今度の旅は遊びが目的ではなかつた。たゞ大阪の兄が危篤だといふ電報に接して、見舞ひ或ひは永訣――その孰になるかは、東京を立つた時の彼には判らなかつた――のために大阪へ来たついでに、甥にさそはれて立寄つたのを機会に、しばらく逗留したまでであつた。若し遊覧のためなら、何もわざ/\特別に底冷えがすると言はれてゐる京都の冬を見舞ふ理由はなかつた。しかし京都の冬は思つたより好かつた。少くとも今迄二三度見舞つた暖かい季節の京都よりも、冬の京都に京都らしい特色があつた。実際京都の冬は冬らしい静かな冬であつた。それが土井には懐かしかつた。それは彼の足を止めたところが郊外にあつたからで、そこは平野神社から銀閣寺へ行く途中に見える衣笠山の夷かな姿が直ぐ簷の下から望まれるやうな場所にある、貧しい家であつた。