TRENDIA CLASSIC

老苦

徳田秋聲

1 / 9

「ではお父さんは三ちやんと一緒に寝台自動車に乗つて行つて下さい。僕は電車で行きますから。」

「あら、さう。」

「病院までは僕も一緒に乗つて行きますから。」

「よし/\。」

「T老院長は患者に愛著をもつてゐます。どうしても癒さうとしてゐます。あの海岸の療養所にこの夏一杯もゐたら、づつと快くなるでせう。費用もかけさせないやうにと、心配してくれてゐるんです。あゝ云ふ患者が、一家のうちに一人出ると、中産階級のちよつとした家は大概へたばつてしまふもんだからつて、そこまで思つてくれてゐるんです。」

「何しろ長いからね。」

長男の正雄は若院長は勿論、老院長とも親しくなつてゐた。彼は誰とも親しくなれる質の柔軟かな心をもつてゐた。

通りの自動車屋の前へ来ると、尨大なその寝台車が路傍樹の片蔭に用意されてあつた。彼は二十になる娘と田舎から偶然出て来てゐる甥と、それに女中と四人でそれに乗つた。

「僕はW薬局で買ひものをして、後から電車で行きますから。」

寝台自動車は朝の爽やかな風にカアテンを煽らせながら、ゆつくり街路を走つた。病院までは大した距離でもなかつたが、彼はいつも別れる時が寂しいので、余り見舞はないことにしてゐたが、今二階の病室へ上つてみると、患者は相変らず白皙な綺麗な顔をしてゐた。節々の暢びやかに育つた彼は、兄弟中で尤も脊が高くて、尤も青年らしい気慨と元気とをもつてゐた。長いあひだ仰臥したまゝの彼は、誰でも捉へて談話や議論に耽つた。彼は何んでも知つてゐた、中学生にしては少し大人つぽすぎるほど各方面の知識に富んでゐた。

「それはね……。」と、明晰な口調で彼が遣りはじめると、夫から夫へと際限もない雄弁がつゞいた。

「若しこれが今頃健康であつたなら……。」

徳田秋聲の他の作品