本文へ移動
TORENDIA

随筆銭形平次

本文約4,800字 ・ 読了時間 約10分

あらすじ(AIが作成しました)

法科大学を中退し、捕物小説を書くことになった筆者が、その創作の背景と自身の考えを綴る随筆。数学的な整理を要する捕物小説の面白さを、近代法の精神を飛躍させたヒューマニズムに求め、作者自身の代表作『銭形平次』の投げ銭の着想や、子分・八五郎の役割について語る。また、捕物小説を日本の探偵小説の型と位置づけ、その創始者である岡本綺堂の功績を称え、浅草に建立された「半七塚」をめぐるエピソードなどを通じて、大衆に愛される捕物小説の可能性を論じる。

野村胡堂

速度
🎧 随筆銭形平次 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 6

一

あの荒唐無稽な『西遊記』などを読まなかったら、私は物理学者にならなかったであろう――と、いう意味のことを、雪の学者中谷宇吉郎博士が、なんかに書いていたのを見たことがある。まことに味の深い言葉であると思う。

私は中学時代、まことに仕様のない低能児であったが、たった一つだけ将来性のある課目があった、それはなんと「数学[#「数学」は底本では「数字」]」であったといったら、「嘘をつけ」と叱る人があるかもしれない。が、これは掛け引きのない話で、猪川塾という盛岡の中学の塾に泊って、そこから中学に通っていた私は、よく室友達に数学の宿題を教えて得意になっていたし、なまけ者で通っていた私が、当時の入学試験中一番六つかしいといわれた一高の入学試験にパスして悪友共を驚かしたのも、数学が満点近かったためではあるまいかと、今でも考えているのである。

中谷博士は『西遊記』を耽読して雪の学者になったと同じように、私は数学が小器用に出来たおかげで小説を書くようになったのかもしれないのである。小説の中でも二二が四と数学的に整理されなければならない、捕物小説を書くようになったのは、まことに浅からぬ因縁というべきである。

もう一つ私は、父親のすすめで法律を学ぶことになり、嫌々ながら法科大学に籍を置くことになったのであるが、なんとしても法律というものが好きになれず、愚図愚図しているうちに父親に死なれて学費の途を失い、四十年前のアルバイト学生として漸くその日の糧を得ているうちに、大学へ出す月謝の期限を忘れて、待てしばしの用捨もなく除名になってしまったのである。その頃の官立大学は、お金のことというと、高利貸の如くやかましかったものである。

近代法の精神は、行為を罰して動機を罰しないことになっている、が、我々が描くところの捕物小説においては、行為を罰せずに、動機を罰してしばしば溜飲を下げているのである。学者や実際家が見たら、随分馬鹿馬鹿しいものかもしれないが、小説の世界ではそれくらいのことは大目に見られているのである。

野村胡堂の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本