本文へ移動
TORENDIA

愛書癖

本文約11,400字 ・ 読了時間 約23分

あらすじ(AIが作成しました)

セーヌ河岸の古本屋で珍書を漁る愛書家の姿を起点に、書籍蒐集に情熱を注ぐ人々の心理や多様な癖を論じる随筆。書物を愛する「ビブリオフィル」が昂じて書物を崇拝する者や、ただ積み上げるだけの者、更には書物欲しさに犯罪に手を染める者まで、愛書家の穏健派から過激派に至る分類をユーモアを交えて解説する。著者は古今東西の歴史的実例を引きながら、書籍を慈しみ蒐集する人々の営みと、その異常なまでの執着心や愛書家特有の趣味、態度を順を追って綴る。

辰野隆

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 17

パリに遊んだ人々は誰でもセーヌ左岸に列んでいる古本屋を決して忘れないだろう。店と云っても、家ではない。唯、セーヌ河岸の石崖の上に、無数の古本の箱が、石崖の続く限り――と云うと少し話が大きくなるが、――サン・ミシェル河岸からヴォルテール河岸に至る七、八丁か八、九丁の間は、高さ一尺、方三尺ばかりの箱に古本を詰め込んだのが数限りなく行列している。二、三間隔きに箱の主がいて、牀几に腰をかけたり、ぼんやり、セーヌ河畔の釣客を眺めたり、煙草の煙を輪に吐いたり、葡萄酒の喇叭飲みをしたり、居睡をしたりしている。大抵は無愛想なような、人の善さそうな爺さん連で、若い顔は罕であるが、彼等は日が暮れると、各自の箱に錠を卸して帰って了う。翌朝になると、彼等は再たのこのこと、馬の糞のように集まって来て、箱の前に呑気な顔を列べて、愛書家の群を待っている。

此の河岸の古本屋で珍書を漁る人も鮮くないが、掘出物は滅多にないらしい。僕も屡、眼を皿のようにし、片端から漁って歩いたが、ニザールの仏文学史四巻を二十法で買ったのが関の山だった。或日、『屁の術』という珍本を見付けて、一寸誘惑されたが、あまり馬鹿々々しいので、表題だけ拝見して御免蒙った。が、今思い出すと、矢張り買って置いてもよかった。風来山人の『放屁論』などと読み較べたら、今頃は比較放屁学の学位論文位は提出していたかも知れない。

然し斯んな卑近な珍本は買っても買わなくてもいいが、どうかすると、河岸の箱にも、途方もない稀覯書が紛れ込んでいる事がある。歴史家のガブリエル・アノトーが嘗て、河岸の箱を漁っている中に、偶然、大ナポレオンの署名のあるシーザーの『ゴール遠征記』を発見して有頂天になったと云う有名な話がある。その署名がボナパルトとあったか、それとも又ブオナパルテとイタリア流に書いてあったか、其処迄は聞もらしたが兎に角、五年に一度でも、十年に一度でも、斯んな掘出物があるから、愛書家が血眼になったり、蚤取眼になったり、鵜の目鷹の目になったりするのも無理ではない。

辰野隆の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本