TRENDIA CLASSIC
白菊
伊藤左千夫
1 / 1
茅野停車場の十時五十分発上りに間に合うようにと、巌の温泉を出たのは朝の七時であった。海抜約四千尺以上の山中はほとんど初冬の光景である。岩角に隠れた河岸の紅葉も残り少なく、千樫と予とふたりは霜深き岨路を急いだ。顧みると温泉の外湯の煙は濛々と軒を包んでたち騰ってる。暗黒な大巌石がいくつとなく聳立せるような、八ヶ岳の一隅から太陽が一間半ばかり登ってる。予らふたりは霜柱の山路を、話しながらも急いで下るのである。木蘇の御嶽山が、その角々しき峰に白雪を戴いて、青ぎった空に美しい。近くは釜無山それに連なる[#「連なる」は底本では「連らなる」]甲斐の駒ヶ岳等いかにも深黒な威厳ある山容である。
予らふたりはようやく一団の草原を過ぎて、麓を見渡した時、初めて意外な光景を展望した。
諏訪一郡の低地は白雲密塞して、あたかも白波澎沛たる大湖水であった。急ぎに急ぐ予らもしばらくは諦視せざるを得ない。路傍の石によろよろと咲く小白花はすなわち霜に痛める山菊である。京で[#「京で」は底本では「京でも」]見る白菊は貴人の感じなれど、山路の白菊は素朴にしてかえって気韻が高い。白雲の大湖水を瞰下してこの山菊を折る。ふたりは山を出るのが厭になった。
伊藤左千夫の他の作品
TRENDIA CLASSIC
市川の桃花
伊藤左千夫
市川の桃花
伊藤左千夫 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
浅草詣
伊藤左千夫
浅草詣
伊藤左千夫
TRENDIA CLASSIC
井戸
伊藤左千夫
井戸
伊藤左千夫
TRENDIA CLASSIC
歌の潤い
伊藤左千夫
歌の潤い
伊藤左千夫
TRENDIA CLASSIC
『悲しき玩具』
を読む
伊藤左千夫
『悲しき玩具』を読む
伊藤左千夫
TRENDIA CLASSIC
家庭小言
伊藤左千夫
家庭小言
伊藤左千夫
TRENDIA CLASSIC
河口湖
伊藤左千夫
河口湖
伊藤左千夫
TRENDIA CLASSIC
落穂
伊藤左千夫
落穂
伊藤左千夫
TRENDIA CLASSIC
牛舎の日記
伊藤左千夫
牛舎の日記
伊藤左千夫
TRENDIA CLASSIC
草花日記
伊藤左千夫
草花日記
伊藤左千夫
TRENDIA CLASSIC
去年
伊藤左千夫
去年
伊藤左千夫
TRENDIA CLASSIC
紅黄録
伊藤左千夫
紅黄録
伊藤左千夫