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TORENDIA

田園の憂欝

本文約78,500字 ・ 読了時間 約158分

あらすじ(AIが作成しました)

都会での生活に息苦しさを感じていた青年が、安らぎを求めて郊外の片田舎にある草屋根の家へと移り住む。自然の中に幸福な生活を夢見た彼であったが、静かなはずの農村での暮らしは、飼い犬の騒動やランプの不安定な明かり、そして妻とのすれ違いの中で次第に重苦しいものとなっていく。神経過敏な彼は、周囲の些細な出来事に幻聴や不安を募らせ、次第に追い詰められていく自身の内面的な葛藤と疲弊を描く。

佐藤春夫

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I dwelt alone

In a world of moan,

And my soul was a stagnant tide,

Edgar Allan Poe

私は、呻吟の世界で

ひとりで住んで居た。

私の霊は澱み腐れた潮であつた。

エドガア アラン ポオ

その家が、今、彼の目の前へ現れて来た。

初めのうちは、大変な元気で砂ぼこりを上げながら、主人の後になり前になりして、飛びまはり纏はりついて居た彼の二疋の犬が、やうやう柔順になつて、彼のうしろに、二疋並んで、そろそろ随いて来るやうになつた頃である。高い木立の下を、路がぐつと大きく曲つた時に、

「ああやつと来ましたよ」

と言ひながら、彼等の案内者である赭毛の太つちよの女が、片手で日にやけた額から滴り落ちる汗を、汚れた手拭で拭ひながら、別の片手では、彼等の行く手の方を指し示した。男のやうに太いその指の尖を伝うて、彼等の瞳の落ちたところには、黒つぽい深緑のなかに埋もれて、目眩しいそはそはした夏の朝の光のなかで、鈍色にどつしりと或る落着きをもつて光つて居るささやかな萱葺の屋根があつた。

それが彼のこの家を見た最初の機会であつた。彼と彼の妻とは、その時、各この草屋根の上にさまようて居た彼等の瞳を、互に相手のそれの上に向けて、瞳と瞳とで会話をした――

「いい家のやうな予覚がある」

「ええ私もさう思ふの」

その草屋根を見つめながら歩いた。この家ならば、何日か遠い以前にでも、夢にであるか、幻にであるか、それとも疾走する汽車の窓からででもあつたか、何かで一度見たことがあるやうにも彼は思つた。その草屋根を焦点としての視野は、実際、何処ででも見出されさうな、平凡な田舎の横顔であつた。而も、それが却つて今の彼の心をひきつけた。今の彼の憧れがそんなところにあつたからである。さうして、彼がこの地方を自分の住家に択んだのも、亦この理由からに外ならなかつた。

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