「青い花」に出てゐた一見童話風の、しかしその内部には近代人の自己分裂と精神薄弱の自己反省を伴つた現実感を、風の如く、さりげなくしみじみと漂はせて骨格の卑しくないもののあるのを発見したのは一年も前の事であつたらう。題名は今思ひ出せないが、その作者が太宰治であることだけは強く印象に残つた。同じ作者の名を文芸で見て、早速一読すると、これは先日のものが毛糸を解きほぐしたやうな文体であつたのに対して金属的な感じのあるひどく気の利いた掌篇が三篇集つてゐるものであつた。そこはかとなくではあるが、しみじみと妙に現実感のある点は前に見たものと相通ずるものがあつて、外貌は変つてゐたが同じ作者のものだとうなづけるものがあつた。当時文芸春秋に時評を書いてゐた自分はこの作者とこの作品とに一言を呈したいと思つたが作品がまだあまり粒が小さいのと作者の風格があまり自分の好みに即き過ぎるのでないかを惧れ、同時に薔薇ならば今に花が開くだらうから、その時になつて声援を与へるも遅しとはしないであらう、今暫く黙つて見て居てやらうといふ気持であつた。果してその後に「道化の華」の発表されるのを見て自分は心中で果然! と会心の思ひがあつた。その間に山岸外史と相識つた自分は、この方面から人としての太宰に就ても少々聞き及ぶところもあつたので、「道化の華」の作者に私信を以て読後感を披瀝した。太宰は当時既に健康は恢復したがまだ病院にゐる退院次第訪問するといふやうな返事を寄せて、間もなくそれを実現した。山岸と同道であつた。芥川賞の候補として僕は太宰を推したが、これは予選に入つただけで遂に入賞しなかつた。人々は太宰の豊富な才能の承認を吝しんだわけではないが一面に太宰の人としての未熟に慊焉たるものがあつたらしい。それに太宰の諸作には芸術的血族を感じてゐる自分以外の人々にはまだ十分納得させ得ない何物かが潜在してゐるのは当然と思へる節があつたから自分も人々の意見を不本意ながら同感せざるを得なかつた。さうして太宰の奮起によつて太宰の作品そのものが多くの人々によつて自然と了解される日を希望した。