TRENDIA CLASSIC

絶対的人格

伊藤左千夫

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子規子の世を去るなり、天下の操觚者ほとんど筆を揃てその偉人たることを称す、子規子はいかなる理由によって偉人と称せられたるか、世人が子規子を偉人とするところの理由いかんと見れば、人おのおのその言うところを異にし、毫も帰一するところあるなく、しこうしてただその子規子は偉人なりという点においてのみ、一致せるの事実を見たるは最も味うべき点なりとす。

しかり世人は相当の理由を有して、子規子の偉人たるを断定せるものにあらず、ただ無意識の間にその偉人たることを感じたるなり、子規子は真に偉人なりし、偉人なるがゆえに、世人がその偉人たるを感じたるは、これすなわち理屈にあらずして事実なり、決定の自然これに過ぎたるはなし、何となれば、太陽なるがゆえに太陽たるを感じ、明月なるがゆえに明月たるを感ずると等しければなり、これに理由を云々するがごときは要するに人間の小理屈のみ。

されば単に子規子を偉人なりというに対しては、何らの説明を要せず、しかれども世に子規子を仰ぎ子規子を信ずる人々にありては、単にその偉人たるを知覚せるのみにては、もとより満足しがたきものあるべし、ことに親しく左右に侍してその感化を蒙れる吾々においては、その偉人の実質を考定してこれを吾人に告ぐるの義務あるを感ぜざるを得ず。

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