十年
本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
十六歳の少年は学校の裏山で空を眺め、将来に思いを馳せながら仏蘭西への憧れを募らせる。永井荷風やヴェルレエヌの影響を受け、未知の異国へ行く夢を抱いた。それから十年が過ぎ、横浜のアパートで暮らす僕は、かつての夢を懐旧しつつ現在の生活を送る。本書は、青春時代の淡い情景や夢と、現実との対比を通じて、古びない郷愁と詩的な感傷を綴る。
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十年前、十六歳の少年の僕は学校の裏山に寝ころがって空を流れる雲を見上げながら、「さて将来何になったものだろう。」などと考えたものです。大文豪、結構。大金持、それもいい。総理大臣、一寸わるくないな。全くこの中のどれにでも直ぐになれそうな気でいたんだから大したものです。所でこれらの予想の外に、その頃の僕にはもう一つ、極めて楽しい心秘かなのぞみがありました。それは「仏蘭西へ行きたい。」ということなのです。別に何をしに、というんでもない、ただ遊びに行きたかったのです。何故特別に仏蘭西を択んだかといえば、恐らくそれはこの仏蘭西という言葉の響きが、今でもこの国の若い人々の上にもっている魅力のせいでもあったでしょうが、又同時に、その頃、私の読んでいた永井荷風の「ふらんす物語」と、これは生田春月だか上田敏だかの訳の「ヴェルレエヌ」の影響でもあったようです。顔中到る所に吹出した面皰をつぶしながら、分ったような顔をして、ヴェルレエヌの邦訳などを読んでいたんですから、全く今から考えてもさぞ鼻持のならない、「いやみ」な少年だったでしょうが、でもその頃は大真面目で「巷に雨の降る如く我の心に涙」を降らせていたわけです。そういうわけで、僕は仏蘭西へ――わけても、この「よひどれ」の詩人が、そこの酒場でアプサンを呷り、そこのマロニエの並木の下を蹣跚とよろめいて行った、あのパリへ行きたいと思ったのです。シャンゼリゼエ、ボア・ド・ブウロンニュ、モンマルトル、カルチェ・ラタン、……学校の裏山に寝ころんで空を流れる雲を見上げながら幾度僕はそれらの上に思いを馳せたことでしょう。