北海道の春は、雪も消えないうちにセカセカとやって来る。なにもかもひと口に頬張ってしまおうとする子供のようだ。落葉松の林の中は固い雪でとじられているのに、その梢で鶫が鳴く。
低く垂れていた鈍重な雪雲の幕が一気にひきあけられ、そのうしろからいちめん浅みどりの空が顔をだす。
雪の表面が溶け、小さな流れをつくって大急ぎで沢のなかへ流れこみ、山襞や岩の腹についていた雪は大きな塊になってあわてふためいて谷の底へころがりおちる。
藪蔭には蝦夷菫。
雪溶けの沢水の中には、のそのそと歩きまわる蛄。
丘はまだ斑雪で蔽われているのに、それを押しのけるようにして土筆が頭をだす。去年の楢の枯葉を手もて払えば、その下には、もう野蒜の緑の芽。
風はまだ身を切るように冷たいのに、早春の高い空で雲雀が気ぜわしく鳴く。なにもかもいっぺんにやってくる春だ。
波が高まるようになだらかに盛りあがっている黄色い枯芝の丘の上に、ビザンチン風の、赤煉瓦の修道院の建物が建っている。
長い窓の列を見せた僧院と鐘楼のついた聖堂。質素なようすをした院長館。白楊の防風林をひかえた丘の蔭には牛乳を搾ったり牛酪や乾酪をこしらえる「仕事場」と呼んでいる三棟ばかりの木造の建物。雲の塊のような緬羊が遊んでいる広い牧場。聖体秘蹟につかう酸っぱい葡萄酒のできる広い葡萄園と段々の畑。
津軽海峡の鉄錆色の海の中へ突き出した孤独な岬の上に建っているこの「灯台の聖母修道院」にもこんな風に気ぜわしい春がくる。朝の勤行の鐘の音も、夕の祷の鐘のひびきも満ちあふれるようなよろこびを告げる、春。
ところで、ベルナアルさんにとっては春がやって来ることがたいへんな苦労の種になる。
ベルナアルさんは、たいへんにおしゃべりが好きである。いったんしゃべりたいとなると、矢も楯もなくなってしまう。舌が口の中に一杯になるほど膨れあがり、唇は芝蝦の子でも跳ねるようにピクピクと痙攣れる。断食も、苦行も、この誘惑から逃れさせる力を持っていない。
ベルナアルさんは、丘のうしろの洞窟の中へ駆けこんで、聖母の像の下に跪いておしゃべりの誘惑から逃れるために汗だくになっていっしんに祈る。