堀辰雄のこと
本文約4,300字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
堀辰雄との交流を佐藤春夫が綴る随筆。芥川龍之介を通じて知った若き日の堀の姿から、自身の書斎を訪れた折の好奇心旺盛な人柄、戦争中に桜餅を持って見舞いに訪れた際のエピソードなど、彼との親交を回想する。病床にあった堀を訪ねられなかった後悔を抱えつつ、その高潔な性格と文学的才能、そして友人たちから愛された人間性を偲び、若くして去った作家の面影を記す。
💰 この本を応援する(投げ銭)
堀辰雄とは何時から交際をはじめたらうか。さういふ事にかけては割合に記憶の悪くないわたくしだが、あまり明確には思ひ出せない。多分まだ「驢馬」の同人であつたころ彼があまりあざやかな文学上の特性を現はさないころ、芥川家で偶然に落ち合つた青年の一人として彼を最初に見たためではあるまいか。それならば一時にあまり沢山に同じやうな人びとを見たために印象がぼやけてしまつたのかも知れない。尤も芥川や室生から彼の噂をその前後によく聞いて、殊に、そのむし歯のことを歌つた短い詩を芥川が推賞した時、それはわたくしも既に注目して置いたもので即座に芥川に同感した事はよくおぼえてゐる。それで今度抒情詩のアンソロジイを編むに当つても彼のはそれと他に一篇とを採録することにしたものであつたが。
芥川が歿した直後、彼の印象が僕にだんだんと鮮明になつて来たのは彼の文学活動のためではなく(といふのは彼がその真価を発揮しはじめたのはもう少し後であつたやうに思ふから)彼がさう頻頻とではないが、ときどき僕のところへ遊びに来るやうになつたためであつたとおぼえてゐる。僕はよい作家としてよりも以前に好もしい人がらの青年として彼を先づ認めたのであつた。温厚で高雅な人なつつこい人であつた。芥川や室生との関係からであらう。その頃芥川や室生とは親しかつた僕に対して、彼はまるで文学上の叔父さんに対するやうな素直な敬愛の情を示してくれた。彼はめつたに人を入れた事のないわたくしの二階の書斎へ入つたことのある僅に二三人のうちのひとりである。あまり使はない部屋で乱雑にしてゐるのとあけつぴろげのやうであるが実は最後の一線では人の好き嫌ひのはげしいわたくしはむやみと自分の書斎などへ人を入れたくない一面があるからである。それを知つてか知らないでか、彼は或る時ごく無邪気に、
「僕、あの二階の塔見たいなお部屋へ入つて見たいな、いけませんか」
かう切り出されては、これを拒否すべき理由もなく、乱雑にしてゐるけれどと云ひながら導いて行くと、いよいよ部屋に入らうとする前になつて、
「僕ほんたうは佐藤さん(といつもさういふ風に僕を呼んだ)の本が見たいのだ」