(一) いやしくもレディの雑誌に、滅相もないこんな欄を設けたものだ。しかもそれが読者によつて迎へられると聞いては、もうすつかり顔まけで、また何をか言はんやといふ気持である。わたくしはそんな時代おくれの老人であると、先づそれをご承知置きありたい。
小島政二郎だの[#「小島政二郎だの」は底本では「小嶋政二郎だの」]さては舟橋聖一、その他、こんな話題を巧みにこなす諸公がおほぜいゐるなかから、何でわたくしに白羽の矢を立てたものやら。それをまたわたくしが引き受けるはめになつたのは取次ぎの電話の聞き方の不十分による行き違いの結果なのである。
ままよ、五枚や十枚の原稿など、ひらりと体をかわし顧みて他を言つてゐるうちにすんでしまふだらう。
と言つて決して敵にうしろは見せない、引き受けた以上、書くべきことはずばりと書くには書く。ただ喜んで読むとかいふ連中にとつては思ひのほかに面白くない、読みがいのないシロモノになるかも知れないが、そんなことはもとよりわたくしの知つたことではない。わたくしにそんなこと題目を[#「そんなこと題目を」はママ]書かせようとした編集者の見当違ひなのだから。
そもそも「ヰタ・セクスアリス」といふ言葉はもと森林太郎が性欲的自叙伝ともいふべき哲学小説に使つた題であつた。その哲学小説を色情小説化して通俗的に世にひろめたのは、時の文部大臣某のしわざであつた。文部大臣といふ者は、昔も今も時々こんなおもしろいことをしでかす道化役人らしい。文部大臣や雑誌編集人は鴎外の用語を色情生活打明け話といふふうに思つてゐるらしい。しかし鴎外の孫弟子を以て自任するわたくしは大師匠の用語を使ひ誤つてはなるまい。あれを哲学小説として読んだやうに、わが与へられたこの題をもまた哲学的に取扱ひたいと思ふ。では、先づ、
性欲は人間のなかに潜んでゐる野獣性である。鴎外はこの野獣を家畜のやうに飼ひならすための参考資料としてあの小説を書いたので、先生は先生の内部に住む野獣の活動状態を世人の見せ物にするのが目的ではなかつたに相違ない。