小泉八雲に就てのノート
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あらすじ(AIが作成しました)
小泉八雲全集を通じて、この詩人が卓越した批評家であった一面を論じる。自身で学習を重ねた八雲が、大学の講義で西洋の最新の文学潮流を伝えながら文学の本質を追究した姿勢や、特定の文学者に対する評価の視点に注目する。また、独特の文体や手法で彼が創造した空想上の日本の姿を考察し、高い風格を備えた文人としての人物像と、その文学的業績を詳述する。
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小泉八雲全集を読んで一番感心することは、この詩人が同時にえらい批評家だといふ一事である。正岡子規が一面に於て大批評家を兼ねてゐたのと好一対である。この事は一見意外のやうでもあるけれども、別に不思議ではない。何者であらうとも一家をなす程の人には一家の識見は厳として具はつてゐるものである。それだけの識見を持てないやうな人は、たとひ多少才能があつたにしても才能は仕事するごとに磨減してしまつて決して大をなすものではない。
八雲は誰も知るとほり自分で自分を教育して来た人である。即ち八雲をあれだけに仕上げたのは彼自身のなかにいい教師がゐたので、そのいい教師の重なるものはその批評的な一面であつたと僕は考へるのである。八雲は彼のなした学校の講義のなかでこんな事を言つてゐる――警戒すべき事は、独力で勉強する人間の陥入りやすい弊害はプロヴィンシヤリズムである云々(プロヴィンシヤリズムといふ言葉に八雲は適当な註訳を加へてゐたが、僕は忘れてしまつたけれども、簡単に言へばまあ所謂投書家気質とでも考へてよからう。)八雲はその警戒をいつも彼自身に加へてゐたに違ひない。
大学の講師としての八雲は、決して同じ講義を二度としなかつたといふ事であるが、これだけを聞いても彼の勤勉な学徒であつた事が知られる。ウイリヤム・ブレエクの事を二度話してゐるが、その二つの講義は同一の題目をまるで別の見地から論じたものである。