文学の本筋をゆく
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あらすじ(AIが作成しました)
坂口安吾の文学における人間観の深さと、世俗に囚われない闊達な精神を論じる。著者は、頽廃的でセンチメンタルな太宰治の作風に対し、安吾の作品こそが文学の本筋であると説く。将来の大人に相応しい健全な文学としてその価値を高く評価し、特に歴史小説『信長』が持つ作者の自画像的な一面に注目する。本作は安吾の文学的真価が正当に再評価される未来を見据え、その魅力を後世に残すための選集としての意義を綴る。
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坂口安吾の文学はいささか奇矯で反俗的なところはあつても、文学としては少しも病的なものではなく、高邁な精神をひそめたすぐれたものと思ふ。その点、太宰治のどこまでも頽廃的でいぶしのかかつたセンチメンタルなものよりわたくしは坂口の文学の方が文学の本筋だと思つてゐる。
坂口は世俗的などんな先入観念にも煩はされるところなくぢかに人間を見た。そのため人間の心理は彼は可なり深く知るところである。それ故、彼の文学は、創作とばかりは限らず、雑感随筆のたぐいまで、その囚はれないものの見方、濶達な人がらがよく出てゐて、おもしろい。太宰のものが現代青年のものであるのに対比して坂口の文学は将来のおとなの文学だとも思へる。
わたくしは素直に人智の進歩発達を信じて年来、文学の常識も年々に健全な発達を遂げてゐると見てゐるものであるが、一般の読者が太宰の文学に堪能してこれを卒業したころになつて、坂口文学の真価がもう一度見直され、やがて正常に理解され愛読されるものとなるのを疑はない。その日までしばらく坂口の文学を保存して置くものとして、この六巻の選集は貴重なものである。
この度の発売の巻中では彼の歴史小説中の白眉といふべき信長は宛然作者の自画像のおもかげのあるのは最も面白い。
完