谷崎文学の特長はゆつたりとしたゆたかな風格の重厚なところにある。さながらに坦々たる都大路を行くやうなとでも云はうか。この特長は初期の作品にもよくあらはれてゐたが、その大成の姿を示したものがこの細雪ではあるまいか。その重厚に大らかなものに更にきめのこまかさを加へて、まことにめでたいものである。
これは源氏物語の現代訳を試みたことによつて、本来の好い素質のうへに、古典の骨法をよく学んで、そのよい肥料の十分に利いてゐるうちに書かれたのがこの作品であるために、かういふ申し分のない作品ができたのでもあらう。
古典的な落ちつきと近代風の写実とがよく溶け合つてその兼ね合ひがまことにほどのよい諷刺の、快い様式になつてゐるやうに思はれる。
以上谷崎文学の好所をばかり数へ上げてみた。といふのも細雪が谷崎文学の長所を十分に発揮した作品だからである。とは云へ谷崎文学とても全体としては決して申し分のないといふ有難いものではない。しかし常識的でつくりものらしい調子の低さを見せた谷崎文学の欠点が、この作品では偶然ならずよく免れてゐるのである。
ほんたうの美とはどこかしら奇異なところ、一種の鬼気とでもいふべきものが必要だといふのがアラン・ポーの意見であつたとおぼえてゐるが、谷崎文学はいつも、鬼気をねらつたものでさへ決して何らの奇異なところはなく飽くまでも常識で構成された神韻に乏しいのが谷崎文学、最大の欠点のやうに思はれる。これを泉鏡花や永井荷風の文学に比較してみれば谷崎文学が常識的で神韻に乏しいといふ、僕の意見はきつと何人にも首肯されることと思ふ。作品ばかりではなく、人として見ても谷崎氏は鏡花の如くまた荷風のやうな異常な偏奇の人ではない。彼は菊池寛と並称してもよいほどの良識の人なのである。作品の傾向こそ全くうらはらだが、その大衆的人気を担ふ点で菊池寛の作品と似てゐるのも決して偶然ではあるまい。
谷崎氏はいはゆる天才などといふやうな天の産んだ畸型児ではなく、彼自身の努力によつて自己の文学を企劃し完成した能才の人なのである。